紫式部「夫亡くし娘は病」それでも強く生きれた訳 悲しみに暮れた式部の心の拠り所となったもの
紫式部はその情景を見て、先に述べた「若竹の生ひゆく末を…」の歌を詠んでいますが、その内容は「娘の病が治るよう、無事に成長するように私も祈っている。しかし、その一方で、私の心には、世の中はいつどうなるかわからない、世を厭う想いがある」というものです。
子どもの成長を願いながらも、世を厭うという、世間から離れたい気持ちを紫式部は抱いていたのでした。
夫の急死や、疫病により京中の人々がバタバタと死んでいったことも、その心情の背景にあると思われます。
そのほかに、この頃の歌だと思われるものには「数ならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり」「心だにいかなる身にかかなふらむ思ひ知れども思ひ知られず」というものもありました。
この歌の詞書は「身を思はずなりと嘆くことの、やうやうなのめに、ひたぶるのさまなるを思ひける」。
つまり「自分の人生が思い通りにならなかったと嘆く気持ちが、だんだんと静まってきたかと思うと、また急に募ってくる」と言っているのです。
そして「私はつまらない者だから、どうせ自分の思うようにはなれないとわかってはいるが、しかし、いざそうした悲しい境遇になってみると、自分の心はそれに引かれて、悲しみに沈んでいく」「どのような身の上になったならば、心がそれに満足するのだろうか。満足した境遇になれそうにないことはわかっているが、自らの心の満足を求める想いもあり、諦めがつかない」と詠むのです。
「自分の人生思い通りにならなかった」
紫式部が語る「自分の人生が思い通りにならなかった」というのは何を指すのでしょう。
幸せな結婚生活を送ることができなかったことなのか、思いもかけず夫が急死してしまったことを指すのか。それとも、紫式部には結婚生活を通して、ほかに何か実現したいことがあったのか。はっきりしたことはわかりません。
ですが、これらの歌を見ると、紫式部の心中には、悲しみの色だけではなく、生への執着というものを感じることができます。
「自らの心の満足を求める想いもあり、諦めがつかない」との言葉は、その最たるものだと思うのです。自分の人生を少しでも希望あるものにしたいとの感情を感じ取ることができます。
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