国の豊かさは公共財の多寡で決まる
――日本では「勝ち組」の個人が豊かになる一方で、国や地域共有の共有資産「コモンウェルス」については劣化している感じがします。日本は共同体として貧しくなっているのでしょうか。
全員が競争相手の取り分を「減らす」競争をしているわけですから、国が豊かになるはずがありません。そもそもある国が豊かであるかどうかは、「公共財」の豊かさに基づいて考量されるべきものなんです。
三流の独裁国家では独裁者とその周辺が国富の大半を私財として占有しています。自然資源が豊富な国だと、独裁者とその取り巻きの私財は天文学的な数字になります。でも、そんな国を「豊かな国」と呼ぶ人はいません。
国の豊かさは公共財の多寡で決まります。教育であれ、医療であれ、文化活動であれ、国民が誰でも無償でアクセスできる資源が豊かであれば、たとえ個人資産が貧しい人でも、不安なく豊かな生活を送ることができます。
でも、公共財が貧しければ、例えば、社会福祉制度がないとか、国民皆保険制度がないとか、学校教育がすべて有償であるとか、図書館や美術館やコンサートホールが高額の入場料を徴収するとかいう社会だと、貧困層はひたすら貧困化するだけで、社会的上昇のチャンスがない。
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