日本に「暇があって、小銭がある人」が減った結果 1980年代まで日本が世界的に目立っていた理由

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朝から晩まで働き詰めでは、新しいことに興味を持つ余裕も持てない?(撮影:今井康一)
今年、日本がGDP(国内総生産)でドイツに抜かれて世界4位(2023年)に転落したことは話題となった。だが、「国の力」とは経済力や軍事力だけでは測れない、と、今の日本の不自由さに警告を発する『だからあれほど言ったのに』を上梓した思想家の内田樹氏は語る。日本が再び本当の意味で”豊か“になるカギは、個々が自分のスキルを切り売りすることではなく、それを社会や他人と共有することだという(インタビュー前編はこちら

国の豊かさは公共財の多寡で決まる

――日本では「勝ち組」の個人が豊かになる一方で、国や地域共有の共有資産「コモンウェルス」については劣化している感じがします。日本は共同体として貧しくなっているのでしょうか。

全員が競争相手の取り分を「減らす」競争をしているわけですから、国が豊かになるはずがありません。そもそもある国が豊かであるかどうかは、「公共財」の豊かさに基づいて考量されるべきものなんです。

三流の独裁国家では独裁者とその周辺が国富の大半を私財として占有しています。自然資源が豊富な国だと、独裁者とその取り巻きの私財は天文学的な数字になります。でも、そんな国を「豊かな国」と呼ぶ人はいません。

国の豊かさは公共財の多寡で決まります。教育であれ、医療であれ、文化活動であれ、国民が誰でも無償でアクセスできる資源が豊かであれば、たとえ個人資産が貧しい人でも、不安なく豊かな生活を送ることができます。

でも、公共財が貧しければ、例えば、社会福祉制度がないとか、国民皆保険制度がないとか、学校教育がすべて有償であるとか、図書館や美術館やコンサートホールが高額の入場料を徴収するとかいう社会だと、貧困層はひたすら貧困化するだけで、社会的上昇のチャンスがない。

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