日本に「暇があって、小銭がある人」が減った結果 1980年代まで日本が世界的に目立っていた理由

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どうすればその落とし穴に陥らずに済むのか。僕が代案として提出するのは、他人の権力や富を力ずくで奪うことによってではなく、市民1人ひとりが、自分の持っているささやかな財を「公共」のために差し出すという形で「公共を再建する」という道です。

権力や富は支配層が独占することができますが、独占できないものがある。それは文化資本です。本を読んだり、音楽を演奏したり、スポーツや武道を練習したり、伝統芸能を稽古したり、宗教的な修行をしたりすることによって人々は知性的、感性的に成熟を遂げることができるわけですけれども、これらはすべての市民に習得の機会を開放することが可能であり、かつほとんどお金がかからない。

「住みやすい社会」に必要なこと

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文化資本を獲得して、世界の成り立ちや、人間の本質について深い洞察を得ることには十分な現実変成力があります。時間はかかりますが、市民的成熟を遂げた人が多くなればなるほど、その社会は「住みやすいもの」に変わっていくはずです。

僕は今神戸で道場を開いて、合気道を教えていますけれど、武道の技術と知恵は、権力や財貨と違って、与えても目減りすることがありません。門人たちはその技術と知恵を習得して、次は自分の道場を開いて、自分の門人に伝える。その門人たちはまた……というふうに、いくら贈与しても、文化資本は目減りすることのない無尽蔵の富なのです。

――私たちメディアは個人が共有できる能力などに「スキル」っていう名前をつけて、それでお金を稼ぐことを促している気がしますが……。

スキルで稼いじゃいけないんです。世界の成り立ちや人間の本質についての知にアクセスする機会は、すべての人に無償で提供されなければならない。人が成熟するための道を塞いだり、課金したりしてはいけない。

人が成熟して、世の中が住みやすくなることから受益するのは社会全体なんですから。

倉沢 美左 東洋経済 記者

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くらさわ みさ / Misa Kurasawa

米ニューヨーク大学ジャーナリズム学部/経済学部卒。東洋経済新報社ニューヨーク支局を経て、日本経済新聞社米州総局(ニューヨーク)の記者としてハイテク企業を中心に取材。米国に11年滞在後、2006年に東洋経済新報社入社。放送、電力業界などを担当する傍ら、米国のハイテク企業や経営者の取材も趣味的に続けている。2015年4月から東洋経済オンライン編集部に所属、2018年10月から副編集長。 中南米(とりわけブラジル)が好きで、「南米特集」を夢見ているが自分が現役中は難しい気がしている。歌も好き。

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