日本に「暇があって、小銭がある人」が減った結果 1980年代まで日本が世界的に目立っていた理由

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今の日本はアーリーアダプターの層がどんどん薄くなっています。アーリーアダプターの条件はただ「変化に対する感度がよい」というだけではありません。「暇があって、小銭がある」というのが必須の条件です。

朝から晩まで働き詰めで、かつ財布が空っぽというような人は「新しいこと」なんかに興味を持つことができません。この「暇があって、小銭がある」人たちが一定数存在するためには分厚い「中産階級」が必要です。アーリーアダプターは「中産階級の副産物」だからです。

イノベーションは「中産階級の副産物」

内田樹
(写真:マガジンハウス提供)

戦後のイギリスは「ゆりかごから墓場まで」の手厚い福祉制度を整備しました。その結果、それまで文化資本にアクセスする機会がなかった労働者階級の子どもたちの中から大学に進学したり、楽器を演奏したり、絵を描いたりする者がでてきた。

1950年代末から1980年代末までの30年間の日本もその状態に近かったと思います。活気があった。今の日本が失った最大の人的資産はこの「アーリーアダプター」「暇と小銭がある人たち」だと僕は思います。

今の日本だと、こういう人たちはたぶん「寄生虫」とか「フリーライダー」とか呼ばれて排除の対象にしかなりません。それなら、今の日本から「新しい世界標準」が生まれるチャンスはほとんどないと言ってよいと思います。

――国民間で競争が続くと人も国も疲弊しそうです。日本が疲弊せずに再生する上でカギとなるのは。

「コモンの再生」を僕は提案しています。「日本的コミューン主義」と言ってもいい。日本の伝統的な政治思想を淵源とするものですが、違うのは公共財を豊かにすることを通じて非暴力的に、長期的に階級再編を促すという路線を採用していることです。

従来のコミュニズムの革命論は、権力者、富裕者から権力と富を暴力的に奪い、それを民衆に分配するというプログラムでしたけれども、実際には前の権力者たちが所有していたものは多くの場合、次の権力者となった革命家たちの「私財」として占有されてしまい、公共財として共有されることはなかった。

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