「この金で逃げてくれ!」唐十郎が頼んだ韓国詩人 アングラ演劇の旗手と韓国の大詩人との邂逅

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鶴見俊輔と作家の真継伸彦(1932~2016年)、金井和子の3人が救援委員会の依頼で1972年6月29日から7月4日まで訪韓した。

鶴見らは、ここでもまたソウルで共同通信の菱木一美と会い、馬山の国立結核療養所に「軟禁」されている金芝河氏のいる部屋の位置などを聞き、事前に見取り図などをつくった。

韓国語のできない鶴見たちは英語で金芝河と話を始めた。訪問の目的や署名運動のことを話した。

鶴見によると、金芝河は▽自分の置かれた状況、▽知識人・文学の意味、▽分断について、ヤルタ会談のマキャべリズムを憎む。韓国は特殊な深さを持つ分断を憎むことを通じて世界のいたるところにある分断に抗議する、▽日本のあなた方が韓国へ来られないことは分断だ、▽南米のキリスト教、▽滑稽さ、囚われの王子、▽空腹、空腹こそが根本の問題だ、▽三島由紀夫論、▽唐十郎論、▽政治思想と文学思想など多岐にわたって意見を述べた。

「あなたたちの運動は私を助けられない」

さらに日本の救援運動について「Your movement cannot help me. But I will add my voice to help your movement」(あなた方の運動は私を助けることはできない。だが、あなた方の運動を助けるために、私は自分の声をその運動に加えよう)と語った。

鶴見はこの発言に対して「初対面の外国人から今聞いたばかりの運動に対して即座にこのように答えるというのは、どれほど彼がおざなりな言葉から自由であるかを示している、この言葉は、その後、現在にいたるまでの私たちの運動を集約している」と述べた。

鶴見は「金芝河が囚われたまま、このような運動を助けようとしている姿勢は、私たちを批判し、力づける、2重の働きを持っている」と指摘した。金芝河の「批判」と「力づけ」の相反する2重の働きを持っているという鶴見氏の認識は、いかにも鶴見らしい複眼的な視点だった。

ここで注目したいのは、金芝河は鶴見との面会で日本の作家として三島由紀夫と並んで唐十郎を上げて語ったことだ。鶴見は金芝河がどういう唐十郎論を語ったのかについて言葉を残していない。

しかし、金芝河が三島由紀夫と並んで唐十郎を語ったということは、唐との出会いが金芝河にとっても、ある種の「文化的ショック」だったのだろうと思う。

また唐十郎は、ソウル公演の後、1973年にバングラデシュのダッカとチッタゴンで「ベンガルの虎」を、1974年にはレバノンやシリアのパレスチナ難民キャンプなど9カ所で「アラブ版・風の又三郎」を、いずれも現地語での公演を行った。

唐十郎を日本国内の演劇運動に飽き足らず、発展途上国での公演に駆り立てた背景には、金芝河氏との出会いがあったと思われた。そこが寺山修司ら当時の他のアングラ演劇の潮流との違いだった。金芝河こそが、唐十郎をしてバングラデシュへ、そしてパレスチナへと向かわせたと思えるのだ。

平井 久志 共同通信客員論説委員

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ひらいひさし / Hisashi Hirai

1952年香川県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年定年退社。

著書に『ソウル打令――反日と嫌韓の谷間で』(徳間文庫、1998年)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか――金正日破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書、2010年)、『北朝鮮の指導体制と後継――金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫、2011年)、『朝鮮半島 危機から対話へ』(共著、岩波書店、2018年)、『激動の朝鮮半島を読みとく』(共著、慶應義塾大学出版会、2023年)など。

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