「この金で逃げてくれ!」唐十郎が頼んだ韓国詩人 アングラ演劇の旗手と韓国の大詩人との邂逅
唐十郎はアングラ演劇の旗手として多くの作品を発表したが、「二都物語」を除けば、朝鮮半島を素材にした作品が多いわけではない。やはり、妻であり演劇活動のパートナーであった女優、李礼仙の存在が大きかったと思われる。金芝河は当時、李礼仙に「韓国人ならもっと韓国語を勉強しろ」と言ったという。
唐十郎氏がソウルで「二都物語」を公演した1972年3月の翌4月に、金芝河は長編風刺詩「蜚語」を発表したが、4月12日に検挙され、反共法違反で立件された。金芝河氏は結核療養を名目に韓国西南部・木浦の国立結核療養院へ強制軟禁された。
結核療養所での面会
日時は不明だが、唐十郎は当時、韓国東南部・馬山の療養院にいる金芝河に面会するために同年6月、再び訪韓した。先述の菱木一美の案内で、金芝河と再会を果たした。療養院の外へ連れ出すことにも成功し、馬山の海岸で面会を続けた。
唐十郎はここで腹巻の中に隠していたドルの札束を出し「金芝河さん、これで逃げてくれ」と訴えた。しかし、金芝河氏は「今はその時期ではない」とこれを断った。金芝河は赤いYシャツを着ていた。菱木が2人の「密会」を写真に取り、のちにNHKで放映された「アナザーストーリーズ 越境する紅テント」(2024年5月27日放映)で紹介された。
金芝河氏にとって1972年6月には、もう1つ大きな意味のある日本人との出会いがあった。日本の哲学者・評論家であった鶴見俊輔(1922~2015年)との出会いだ。
金芝河の作品を日本で出版した中央公論社(当時)の宮田毬栄(1936年~)は、作家の小田実(1932~2007年)とともに救援運動を立ち上げ、訪韓を計画するが、韓国政府からビザの発給を拒否された。
宮田毬栄は小田と対応を相談したが、小田はその場で鶴見俊輔に電話し「自分たちが行けないので、代わりに行ってほしい」と依頼、鶴見はこれを快諾した。
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