小林薫×阪本順治「天狗だった30、40代を越えて」 70歳、63歳になった今だからこそ語れること
「いつでも辞められる」と思っていた40代
――お二人は30代、40代の頃、どのような姿勢で仕事に取り組んでいましたか。
小林薫(以下、小林):僕は30歳になる直前まで唐十郎氏が主宰する、「状況劇場」に在籍していました。それまで映像の仕事はお声がけいただいて、2~3本は経験していたかな。劇団を退団以降は「しばらく何もしないで生きていこう」と思っていたのですが、偶然お声がけいただいて、映像の仕事をしようと思ったのが30代です。
40代になると出会いがいろいろと増えていって。今思い出すと当時の気持ちや行動が正しいのかはわかりませんが、「いつでも(俳優業を)辞められる。この仕事しか生きる場所がないと思い込むのは、きついかな」と、考えるようになりました。心のどこかに、「俳優業だけしかやらない」とは思わないようになったというか。
俳優業以外にもっとおもしろいことがあったら、職業を変えてもいいのではないか。そんなことを考えていた記憶があります。
――俳優以外におもしろいことが見つからなかったから、続けてこられたということでしょうか。
小林:現実的ではないですが、「革命などが起きてそれどころではなくなってしまったら……」みたいなことは、よく言っていました。「自分は俳優だ」と決めつけること自体が、俳優業に対しても悪影響を及ぼす意識を持っていたのかもしれません。だから、「いつでも足を洗えるぞ」と、思い込もうとする節がありました。
――小林さんの人生は、「四十にして惑わず」という言葉は当てはまらなかったわけですね。
小林:今も惑っていますよ(笑)。今も人生の正解が何かわからない感じで生きています。今70歳ですが、人生はそういうものだと捉えています。
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