「この金で逃げてくれ!」唐十郎が頼んだ韓国詩人 アングラ演劇の旗手と韓国の大詩人との邂逅
2週間の観光ビザで演劇を上演することは難しかった。監視を逃れるため、旅館を4回も変えた。ソウルでの上演を目指そうと試行錯誤し、ようやくたどり着いたのが金芝河だった。
唐十郎に金芝河を紹介したのは当時の共同通信ソウル特派員だった菱木一美だった。菱木は東京外国語大学で演劇部に所属した元演劇青年で、唐の話を聞き、同じ異端演劇人の金芝河を紹介した。唐十郎氏が金芝河氏と会った日も、金芝河は当局に2日間拘束されて解放されたばかりだった。
当時、中央公論社の文芸誌『海』の編集者だった作家の村松友視は唐十郎に注目し、一緒に訪韓した。一行は「二都物語」の稽古を村松のホテルの部屋でやった。村松は当時のことを、こう述懐する。
「『二都物語』の稽古は、ホテルの私の部屋で行われ、ダブルくらいの部屋に唐十郎一家の5人と金芝河一家の4人が寄り集まり、英語、日本語、韓国語が飛び交う不思議な稽古風景となった。稽古のあとは酒宴となり、唐十郎は李礼仙を頭上にかつぎ上げて回転させ、かつての金粉ショー・ダンサーとしての時間をよみがえらせた。これに対して金芝河は、若い仲間にアイス・ボックスを叩きながらの『アリラン』を歌わせ、自らはそれに合わせて激しい踊りを披露した。『二都物語』の公演は(先に帰国して)見ることができなかったが、あのホテルの一室での鮮烈な記憶が、私の頭にはずっと灼きついていた」
ソウルで「二都物語」をゲリラ公演
ビザが切れそうになった3月23日夜、ソウル市内の西江大学で公演が実現した。金芝河の努力でソウルの青年劇団「常設舞台」と「状況劇場」の共同公演が実現した。「日韓反骨親善大会」と名付けた。韓国側の「常設舞台」は金芝河の「金冠のイエス」を、「状況劇場」は「二都物語」を上演した。
観客は約400人で、唐によるとその半分近くは修道女たちだった。彼女たちの目的は金芝河の「金冠のイエス」を見ることだった。唐たちはにわか仕込みの韓国語で上演をし、金芝河と唐十郎という日韓の異端の演劇人の作品が同時に公演された。この出会いはお互いに影響を与えた。
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