がんの究極薬が開く、新しい治療法の可能性 新薬「オプジーボ」はいかに生まれたのか
――当時から大きな可能性を感じていましたか。
今でこそ会社を支える化合物になりそうですが、当時はわれわれの持っている化合物の中で、会社として注力するような、期待の大きな化合物ではなかった。海のものとも山のものともつかぬPD-1は隅っこにあって、携わっていた研究員が細々と創薬研究を継続していました。そういう研究を認める会社の風土があったのも、幸運の一つかなと思います。
――薬を完成させるまでの苦労は?
小野薬品には、薬にするために必要な抗体化の技術がありませんでした。そこで、国内で仕事をしている抗体技術のある会社13社に当たったのですが、すべての会社から断られた。なぜなら、がん免疫療法が「信頼できないもの」と思われていたからです。断られたのみならず、「そんなことをやっていたら、会社を潰しますよ」というような辛辣な意見ももらいました。
国内はダメでしたので、パートナーを求めて海外に行ったところ、米メダレックス社とのめぐり合わせがあって組むことになりました。ここは、がん免疫に真剣に取り組んでいた会社で、後に世界初のがん免疫薬「ヤーボイ」を創製しました。PD-1にも強い興味を持っていました。2011年にメダレックスがBMSに買収されて、小野薬品とBMSのチームができあがりました。
「あなたがたはおかしい」という医師の批判も
――ヒトでの臨床試験も苦労しましたか。
大変苦労しました。がん免疫自体が信頼されていないメカニズムでしたので、臨床試験を始めるためにがん専門の病院などに持っていっても、飛びついてくれない。そこでもまた、「こういうメカニズムで抗がん剤ができると思っている、あなたがたは頭がおかしい。腹が立つ」と医師にこてんぱんに言われました。
病院には臨床試験中の抗がん剤がたくさんあり、オプジーボは当然、十数番目という最低の優先順位。だから、なかなか症例が割り振られてこない。時間はかかりましたが、1例、2例とようやく患者さんの登録が実現すると、劇的に効きました。すると先生方の見る目が一気に変わり、優先順位がいちばん上に行った。そこから臨床試験も進むようになりました。
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