昭和は、よくも悪くも<共在感=共にあること>を実感できた時代だった。
戦争に敗れた国民は、飢えに苦しみ、痛みを分かちあいながら生きてきた。貧しさは、世代をこえた、国民に「共通の困難」だった。だから、人びとは「傷痍軍人」に同情し、涙したし、戦後に遅れて生まれてきた私は、それを不思議な気持ちで見ていたのだった。
戦後日本では、富裕層や大企業に重たい税が求められた。国税と地方税をあわせて、税率が9割に達する、そんな重税が富裕層に課されたし、法人税率も先進国で最高水準だった。戦争でもうけた人たちは、高い税をはらうべきだ、という「共通の価値」があったからだ。
だが、「共通の記憶」は、ときの流れとともに薄れていった。日本だけではない。平等主義で知られた北欧諸国でさえ、経済格差が広がり、その他の先進国でも、富裕層や大企業への減税が繰り返されてきた。
戦争の記憶、戦後の苦闘を礼賛したいのではない。
貧しさ、悲しみ、不公平への怒りといった「共通の記憶」を持てない私たちは、この社会を共に生きる仲間たちへの優しさを失いつつある。まるで、戦争という悲劇が、無関心という悲劇に置き換えられるかのようだ。私たちは、この現実と、どう向きあえばよいのか(連載第4回『娘が流すSnow Manに私が「日本の未来」感じた訳』参照)。
人びとは無意識に線を引く
昭和を生きた人たちは「共通の記憶」を持ち、成長と平等が両立する国を作ってきた。私にいろんな話を聞かせてくれたほろ酔いのお客さんは、心に傷を負いながらも、誇りと優しさにあふれた人たちだった。
だが、結局、彼らが残したのは、停滞が続く経済であり、みなが生活防衛に追われるなかで、弱い立場に置かれた人たちを放置する「分断社会」だった。それが、「共通の困難」に立ち向かう意志、<共在感>をなくしてしまった日本社会の現在形である。
人はだれかと共にありたいと願う。問題なのは、どのように共にあるのか、だ。
人びとは、無意識に線を引き、「あちらがわ」と「こちらがわ」を切りわける。「昭和かよ!」とにこやかに語る。だが、この一言で、<過去といま>が切断され、<他者と私たち>の裂け目が生まれる。そして、「こちらがわ」の人びとは、ささやかな一体感に酔いしれる。
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