「金持ちエリート政党」に変貌したアメリカ民主党 トランプ&サンダースが前面に出る絶望的状況

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こうした動きの背景には、先進社会における歴史的な産業構造変化があった。1970年代から加速したアメリカ経済のサービス産業化により、労働者は浮遊し出す。製造業最盛期時代には何代にもわたり大工場で労働組合に守られ働く「高級ブルーカラー」が数多くいた。彼らは自身が受けられなかった大学教育を何人もの子どもに受けさせ、次世代がより豊かになっていくことを柱とするアメリカンドリームを支えた。

その製造業がサービス産業に置き換わる。大規模工場が新興国に移るなどして製造業雇用が数百万単位で失われ、労働組合は崩壊していった。職場と労組を通じてコミュニティの絆を確かめることができた人々が、職場を失い疎外され浮遊するような状態に置かれると、ナショナリズムにすがりつくようになることは、予想されていた。ニクソンやレーガンは疎外された労働者たちの「強いアメリカ」を求める声に応えた。

そうした一種の産業構造の端境期に、ベトナム戦争や石油危機といった外的な要因も重なって、アメリカは戦後最悪の経済危機に直面し、新たな時代の危機を打開するにはニューディール型政策では間に合わなくなった。英国ではマーガレット・サッチャー政権が、アメリカではレーガン政権が試みた、市場の力に頼るネオリベラリズム政策が、危機を打開するうえで有効だったことは、いまでは一般的に認められている。

問題は、やがてネオリベラリズムが原理主義化して極端となり、次の世界経済の不安定化を招く大きな危機を引き起こすまでに至ったことである(ネオリベラリズムの評価についてはフランシス・フクヤマ『リベラリズムへの不満』会田弘継訳、新潮社、2023、第2章参照)。

アメリカの場合は、民主党までがネオリベラル化し、本来労働者の側に立つべき政治勢力であったはずなのに、企業のための政党から、ついには金持ちエリートの政党となるまでに変貌した。民主党のネオリベラル化はクリントン政権に始まりオバマ政権まで続き、民主主義の根底を切り崩すような格差の拡大をもたらしたというのが、今日の理解だ(フクヤマ『リベラリズムへの不満』163頁の以下の記述参照。「1980年代のレーガン-サッチャー革命の後、ビル・クリントン、トニー・ブレアに始まりバラク・オバマまで左派の政治家の多くは、右傾化し、市場による問題解決、緊縮財政、漸進主義の必要についてネオリベラルな主張を取り入れた」。

なお、欧米の中道左派政党の歴史的変遷を包括的に研究したStephanie L. Mudge, Leftism Reinvented [Harvard University Press, 2018]は英労働党、米民主党の1990年代以降の「第三の道」をneoliberalized leftismと定義している)。 

エリートと結託する企業政党へ

労働者と南部を共和党に侵食され存亡の危機に至った民主党がネオリベラル化で再起を図る大きな転機は、1985年の「民主党指導者評議会(DLC:Democratic Leadership Council)」の結成であった。

ここに集結した「ニューデモクラット」と呼ばれた民主党政治家と政策立案者集団は、①労働組合でなく企業と金融業界の支持を仰ぎ、②勤労機会の増大を図り、犯罪対策を強化する「効率的」政府を強調し、③市場機能、投資、個人責任を重視――といった政策へと方針転換を図る。所得再配分や福祉といったニューディール的なテーマは放棄し、それらの見直しを求めていくようになる(Mudge 2018, pp. 260‒262.)。党内左派からは労働者を見捨て、大企業にすり寄るミニ共和党だと批判された。

このDLCの議長を務め「ニューデモクラット」の若い旗手として初の大統領(1993〜2001年)になったのがビル・クリントンである。その次の民主党大統領となったオバマも「ニューデモクラット」を自任し、ネオリベラル路線を踏襲、急激な経済格差拡大を放置して、左右ポピュリズムの噴出を招くことになった(“Obama: ‘I am a New Democrat’” Politico, Mar. 10, 2009.)。

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