「宮藤官九郎作品は不適切」と言う人に欠けた視点 「ホモソーシャル作家」という評価は正しくない
さらに、『木更津〜』以降の作品群を見ても男性同士の絆を中心に描くものばかりではない。そのスタンスは2010年代を境に大きく変化しているように思う。
2013年の『あまちゃん』(NHK)をシスターフッドの物語として捉える視聴者もいたようだし、2017年の『監獄のお姫さま』(TBS)も、刑務所で出会った女性6名による、伊勢谷友介演じる男への復讐劇である。
そしてあまり言及されないが、大きな転換点とも言える作品がある。
考え続けて価値観を更新している
2014年に放送された『ごめんね青春!』(TBS)は、錦戸亮演じる青春時代に後悔を抱えた31歳の主人公が、母校に教師として戻ってきて、その引きずりに決着をつけようとする物語だ。
ある程度、大人の感覚を持ったうえで青春のど真ん中の場所に戻ってくるというのは、前述した、青春を置いていく発想がなく、今でも文化祭に行くといろいろと考えてしまう宮藤官九郎自身とも重なるものがある。
母校だった男子校には女子校との合併話が持ち上がっており、最初は対峙していた男子と女子たちが回を重ねるごとに相互の理解を深めていく。もちろん恋愛という形で近づく男女もいれば、互いの才能を認め合うなど、そうではない形で連帯していく男女もいる。
高校時代という本当の青春の真っただ中において、この男女の相互理解が成立する空間、これは宮藤にとっての一種の理想の世界だったのではないだろうか。そしてその世界を、青春を引きずり続けた=考え続けた主人公が率いていく。
最終回は文化祭が中心に描かれ、合併した「聖駿(せいしゅん)高校」が完成する。
筆者としては、男女関係なくひとつになれる“聖駿(せいしゅん)”を描いたこの傑作の完成をもって、『木更津〜』に端を発するだろう「宮藤官九郎作品はホモソーシャル的」という批判は的はずれなものになったと思っている。
ラストは、制服を着た主人公が生徒とともに卒業証書を授与され「やっと青春を卒業できましたね」と言われて終わる。深読みすれば、この作品自体が、宮藤が男子だけでわちゃわちゃする青春を描いてきたことからへの卒業とも受け取れる。
それから、さらに10年。本人も考え続けて価値観を更新し、それを作品に反映している。進化し続けた先に出来上がった『不適切にもほどがある!』は今年、高い評価を得た。
20年の時を経て見やすい場所にやってきた『木更津キャッツアイ』を現代の価値観のみで「不適切だから見ない!」と切り捨てることは、“考えない大人”のすることだろう。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら