「宮藤官九郎作品は不適切」と言う人に欠けた視点 「ホモソーシャル作家」という評価は正しくない

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『木更津キャッツアイ』で、高校時代同じ野球部で青春を送っていた5人は、20歳を過ぎていて、年齢上は大人である。だが、卒業後も日常の中に“文化祭的な”盛り上がる要素を見つけては突っ込んでいく。それがこの物語の基本スタイルである。

そして、21歳で余命半年という宣告を受けたぶっさんは、この物語の中で決して“考えない大人”になることはない。“考える中学生”のまま死んだ、と言ってもいいだろう。『木更津〜』は、年齢的には大人だが“考える中学生”な彼らが、“文化祭”をし続ける物語でもあるのである。

そしてそこに、ぶっさんの死という終焉、“文化祭”が終わるかもしれない日がいつか来ることが感じられるからこそ、より切なさを増す――。『木更津キャッツアイ』は死の匂いと“文化祭の終わり”がクロスして切なさを創出しながらも、笑いにも満ちあふれた、紛れもない傑作なのである。

『木更津キャッツアイ』が批判の対象となる懸念

だが、それが“男たちだけの文化祭”であると捉えられたときに、現在の見え方として心配な点も生まれてくる。

『不適切〜』放送時にきたクレームに「あいつ(宮藤)に女性がわかるわけがない」といったものがあったという。その理由を本人はこう分析する。

「若い人たちは配信で昔の僕の作品を見るから、『こんなことを書くやつに女性の気持ちが書けるわけない』ってそういう先入観があって見るから、『この表現はどうなんだ?』と引っかかるみたいです」(『月刊Hanadaセレクション月刊Takada芸能笑学部』、飛鳥新社)

配信による思わぬ“弊害”である。過去の作品を現代の価値観で論じることの是非はいったんおいても、『木更津キャッツアイ』が配信開始されたらこの論調はより強まってしまうかもしれない。

想像されるのは「ホモソーシャル」といった言葉を用いた批判である。ホモソーシャルとは、女性および同性愛者を排除することによって成立する、男性間の緊密な結びつきや関係性を意味する社会学の用語である。

『木更津〜』は、基本的には男性5人組の話なので、そこにはたしかに男同士の絆を感じることができる。実際、放送時に見ていた女性の中にも、あのような関係性に憧れる人もいただろう。

『木更津〜』のあとにも、宮藤官九郎作品ではないが、嵐の二宮和也や小栗旬が童貞の高校生を演じた『Stand Up!!』(2003年、TBS)や、嵐の5人が主演した映画『ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY』(2002年)など、男性数人が仲良くする物語は多く作られ、支持を得た。

「ホモソーシャル」という言葉が今ほど一般的でなかった当時は「チーム男子」といった文脈で、男性数人がわちゃわちゃと仲良くしている状況を女性が“萌え”の対象として歓迎し、消費される向きもあった。

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