その頃、賀茂(かも)神社の先代の斎院も退任し、弘徽殿皇太后(こきでんこうたいごう)の女三(おんなさん)の宮(みや)があたらしい斎院になることとなった。父桐壺院、母弘徽殿大后(こきでんのおおきさき)の二人が非常にかわいがり、たいせつにしてきた姫宮である。その姫宮が神職というとくべつな身分になることが、父母にはつらくてたまらないが、ほかに、未婚の内親王という斎院の条件に見合う娘はいないのである。儀式は従来通りの神事であるけれど、それは盛大に執り行われることとなった。四月に行われる賀茂の祭は、決められた行事のほかに付け加わることが多く、見どころもすこぶる多い。それだけこの斎院がとくべつな身分だということである。御禊(ごけい)の日は、上達部(かんだちめ)など、規定の人数で供奉(ぐぶ)することになっているが、人望が篤(あつ)く、容姿端麗な人々ばかりを選び、下襲(したがさね)の色合いから表袴(うえのはかま)の模様、馬や鞍(くら)に至るまで立派に調えられた。そればかりか、とくべつの仰せ言があり、光君も奉仕することとなった。
祭見物へ
そんなわけで、物見車で見物にいく人々は、かねてから入念に支度をしている。宮中から賀茂河原へと続く一条大路は隙間もないくらいに混み、おそろしいほどの騒ぎである。見物のために作られた桟敷席(さじきせき)も、思い思いの趣向を凝らした飾りつけをしている。見物するため女房たちが簾(すだれ)の下から押し出している袖口さえも、何もかもが見ものである。
左大臣家の葵の上は、祭見物などの外出もふだんからあまりせず、しかも気分が悪いので、出かけるつもりはまるでなかった。けれども若い女房たちが、
「どうしたものでしょう、私たちだけでひっそりと見物するのも、張り合いがないものですよ。今日の見物は、ご縁のない人でも、まずは光君を、みすぼらしい田舎者でも拝見しようとしているらしいですよ。遠い国々から妻子を引き連れて都までやってくるというのに、奥さまがご覧になりませんのはあんまりのことでございます」と言い合っているのを母宮が聞きつけた。
「ご気分も少しいいのでしょう。お仕えしている女房たちも残念がっているようですよ」と母宮に勧められ、葵の上は見物に出かけることにした。
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*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです
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