しまむらAIモデル「瑠菜」魅力を感じさせる特徴 平均顔に絶妙なアレンジが加えられている
一方で、生成AIモデルをネガティブに評価するのはなぜでしょうか。「瑠菜」の場合は、最初から彼女がAIだということがわかったうえでの評価ですが、「実在する人間だと思っていたら、AIだと知り、がっかりした」という経験はないでしょうか。
これは、私たちが実在の人物に対して、自然にその人が持つ背景や物語、感情を想像するからではないでしょうか。しかし、AIであるとわかった瞬間、その背後にある物語や感情が存在しないことがわかり、信頼感や現実感は失われ、「同じ身体と心を持っていないのだ」「共感し合うことはできないのだ」、そんなふうに思われてくるのでは、と考えます。
私たちは、AIモデルが目の前にいても、友人とヒソヒソ話が平気でできますし、デジタルサイネージのAIモデルに「おはようございます」と声をかけられても、応答責任を感じないでしょう。
AIによる創造物にはデメリットも
AIモデルと実在のモデルを比べた研究ではありませんが、アナロジーとなるのが、AIによる創造物と人間による創造物の比較研究です。概ね、私たちはAIによる創造物にネガティブなバイアスを抱くようです。
例えば、Bellaicheら(2023)は、AIで生成した30枚の絵を用意し、このことを実験参加者に知らせずに、「AIで生成された絵」あるいは、「人間が描いた絵」に判断・評価してもらう実験をしました。
実験の結果、「人間が描いた絵」に比べ、「AIで生成された絵」と判断した絵を、ネガティブに評価する傾向にあることがわかりました。さらに、「人間が描いた絵」と判断した絵を、深遠で意味深く、価値がある、と評価する傾向もわかりました。
人間のモデルを人間による創造物と考えることに賛否あると思いますが、私たちが実在のモデルを見るとき、本人が生まれ持って保持している美そのものだけでなく、モデルになると決意し、心身を作り上げ、維持し、魅せていくプロセスにさまざまな背景を感じ、物語を知り、感情を見る。こうしたところに、私たちは心を動かされるのではないでしょうか。
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