「一応、公務員を志望していましたが、就職活動をしていた大学4年の1996年は、氷河期が始まりかけており、就職難でした。地元市役所の採用試験にも、東大生や旧帝国大出身者が大量に押し寄せてきました。倍率は数十倍にも上り、当然ながら、不合格です。でも、生徒が成長していく様子に魅せられ、最後は塾に就職すればいいと安易に考えていました」
塾側に相談すると、大歓迎され、正社員で就職した。ところが、すぐに行き詰まった。バイトと正社員では、働く環境がまったく異なっていたのだ。
時給2000円のバイト時代は、多い月で20万円以上稼いでいた。鉄道好きなため、全国各地を旅行した。割烹に出入りし、回転寿司ではなく、カウンターのある寿司屋を好む大学生だった。あくまでも、大学生バイトは、塾にとって大事な「ゲスト」のようだった。
それが、正社員になると一変した。午前10~11時ごろに起床、昼過ぎに出勤した後、午後11時まで勤務。深夜に夕飯を取り、就寝するのは連日午前3~4時だった。生活リズムは完全に夜型となった。休みは月に5日あれば、よいほう。生徒であふれる夏期・冬期の講習時は、朝から夜まで1日12コマもの授業を任された。深夜の食事にストレスも加わり、あっという間に体重は5キロほど増え、身体が悲鳴を上げ始めていた。
「この仕事はやりがい搾取そのもので、この先もそのまま働き続けさせられる将来像しか浮かばなくなっていました。先輩たちは、ほぼ全員が20代で退職するということもあり、1、2年で離職する人も多数いました。私もちょうど1年間働き、3月末で辞めました」
第二新卒の就職が困難だった時代
新卒で入った会社を3年未満で辞めて、再就職を目指す人たちを指す言葉が、第二新卒だ。厚生労働省が毎年発表する「新規学卒就職の離職状況」によれば、2020年3月に卒業した新規学卒就職者のうち、3年以内に離職した大卒者は32.3%。1995年3月の大卒者で3割を超えて以来、リーマン・ショック直後に卒業した人たちが28.8%と落ち込んだのを除くと、軒並み3割を超えている。この数字に関しては、団塊ジュニア世代もZ世代も変わっていない。
他方、人材の流動化が進む今でこそ、第二新卒採用を導入する企業は目立つものの、吉岡さんが第二新卒の就職に臨んだ1998年は、状況が大きく異なっていた。新卒の就職ですら困難な時期であり、そんな状況下で、第二新卒に目を向ける企業は数が限られていた。
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