「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか 開沼博著 ~未来への手がかりを多角的に掘り下げる

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 そこには、「中央」に対して遅れた、周縁的な致命的脆弱性を内包したムラがあり、それは「県」という独特の役割を果たす媒体をはさみながら、懸命に生き延びようとする。しかし、原子力を誘致し、貧しさから脱却したいというぎりぎりの欲求は、いわば「能動的な服従」から、やがては構造化されていき、もはやそこから逃れる術を持たない事態へと深まってしまう。著者はそれを、中毒性を表すaddictionという言葉で表現している。そしてさらに、あるときからそれはいわば逃れようのない「信心」へと昇華されてしまうのだと。

弱冠27歳の著者の「とんがり」具合はなかなかのものだ。一切の平板な解釈を拒絶する。そして、近代化と成長の陰に潜む排除とその固定化の論理を抉り出し、内なるコロニアリズムといった考え方を駆使しつつ、世界的・歴史的な理論の地平を行き来する。

「フクシマ」と「原子力ムラ」は、未来への手がかりを暗示しているのかもしれない。荒削りかもしれないが、本書はそれを多角的に、そして深く掘り下げている。若い著者の今後の一層の精進を大いに期待したい。

かいぬま・ひろし
東京大学大学院学際情報学府博士課程に在籍。専攻は社会学。1984年福島県いわき市生まれ。2009年東大文学部を卒業。11年東大大学院学際情報学府修士課程を修了。

青土社 2310円 403ページ

  

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