現代アート「1980年代」「1990年代」圧倒的な違い 現代アートの文脈を見出すことが難しくなった

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そもそも、こうした企画を改めて立ち上げなければならなかったという事実が、世界がいかにそれまで欧米中心のロジックで動いていたかという間接的証左ともなりましたが、ともあれ、「中央」たる欧米は反省に基づいて本展を開催したのでした。

しかし、この展覧会は厳しく批判されることになりました。アフリカやインドなどの土俗的なオブジェと、欧米のアーティストの作品をただ並置したところで、それだけでは何の意味や新たな関係性を見出せないとか、発展途上地域からの出品物は怪しげで呪術的なもので、先進地域からの出品物は洗練され理性的なものというのでは、結局、偏見を追認助長しているだけではないかという声も。

さらには展覧会名に「魔術師たち(magiciens)」という語を使っている時点で途上地域の属性を決めつけている、といった指摘が次々に上がったのでした。

地域間の偏見を廃止、文化的差異を超える流れ

そういうネガティブな面もありはしましたが、それでも本展は文化多元主義(マルチカルチュラリズム)の機運を盛り上げる画期にはなりました。

地域間の偏見を排し、文化的差異を超克していこうとする動きはその後も続き、1つの結実を見せたのが1997年の第2回ヨハネスブルグ・ビエンナーレといわれています。ナイジェリア出身のキュレーター、オクウィ・エンヴェゾーがポストコロニアル(脱植民地主義)的アプローチで企画を練り上げました。

かつての宗主国たる旧帝国と植民地たる途上国の関係性を、強者と弱者、加害者と被害者という一方通行の関係で捉えるのではなく、植民地側もじつは宗主国に大きな影響を及ぼしており、相互的な文化の混ざり合い、衝突によって、宗主国とも植民地とも異なる第3の空間が生じたとするホミ・K・バーバの理論を援用しつつ、新しく生まれた文化を肯定的に捉え、ハイブリッドな性格の作品を数多く展示して高く評価されました。

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