星野源と新垣結衣「ラジオ共演」に見る本当の意味 Xフォロワー数274万人「滝沢ガレソ」投稿の余波

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この「利益が損害を大きく上回る」は、今年たびたび社会問題のように議論されてきた週刊誌報道のケースと似ていますが、公共性や真実相当性などの前提が不要であり、謝罪や撤回が求められにくく、「抑止力が働きづらい」という点で個人のほうがより深刻。「たかが個人のSNS」と思うかもしれませんが、今回のように大手メディアと同等以上の影響力を持ってしまう危うさがあります。

さらに今回の件は、収益が出た一方、社会的に罰せられず、損害も出なければ、星野さんと新垣さんの思いに反して、模倣する人が増えても不思議ではありません。すると、その真偽不明の情報に巻き込まれて傷つく人も増えるなど、嫌な未来にしかつながらないのです。

個人への過剰攻撃に対する嫌悪感

では、「個人が面識のない別の個人を攻撃する」「しかも事実無根の可能性があっても発信する」という悲しいツールの使い方をどう止めていけばいいのか。

ネット上には「もう国が止めなければいけない段階」「運営側がアカウント凍結などをもっとしていくべき」「得られる収益に比例した罰則規定が必要」「虚偽だったケースでは収益を本人に還元させる仕組みがほしい」「あまりにひどいものは削除するシステム化をもっと進めるべき」などのニュアンスでさまざまな意見が書き込まれています。

どれも一理ある一方で実現までのハードルは決して低くないでしょう。少なくとも、暴露系インフルエンサーは情報を広く募って利益を得ているのですから、もはや個人ではなくメディアの1つとみなして対策を考えるべきように見えます。

ただ、“暴露系”に限らず個人の発信者たちはメディアとしてのリテラシーを持っていない人が多く、広く発信するうえでの技術やリスク管理などの面に不安があるだけに、国や運営側などが罪を未然に防ぐ取り組みが必要ではないでしょうか。

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