加藤和彦のいったい何がそんなに凄かったのか 映画「トノバン」に表れる先進と諧謔と洗練

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2007年に撮影された加藤和彦(写真:時事)

映画『トノバン』が5月31日から公開される。音楽家・加藤和彦のドキュメンタリー映画だ。

少し前に、私も試写会に参加させていただいた。試写を観て、こういう映画はぜひ、生前の加藤和彦を知らない若い人にも観てもらいたいと思い、以下、加藤和彦の音楽家としての凄みについてまとめてみようと思う。

とはいえ、加藤和彦は、私が生まれた頃に音楽活動を始めているので、特にキャリア初期については、私自身も、リアルタイムでは接していない。

キャリア初期とは具体的には、ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)から、有名な『あの素晴しい愛をもう一度』(1971年)を経て、サディスティック・ミカ・バンドに至る時期である。

そして、この、加藤和彦のキャリア初期の活動や作品こそが、私が個人的にハマった時期なのであり、また映画の中でも十分に時間が割かれているところだ。

というわけで今回は、この時期に焦点を絞って、彼の凄みをたどることとする。

日本ポップ音楽史における革命

まずは何といってもフォークルである。加藤和彦といえばフォークル、フォークルといえば『帰って来たヨッパライ』(1967年)という人も多いだろう。

応仁の乱からちょうど500年後の京都から出てきた加藤和彦に、きたやまおさむ、はしだのりひこという奇妙な3人組による奇妙な1曲。ロボットのような声で「♪おらは死んじまっただ」と歌う、あの曲だ。

一見「変な声で歌うコミックソング」にすぎないが、日本ポップ音楽史における真の革命は、サザンオールスターズ『勝手にシンドバッド』同様、コミックソング的な顔付きでやってくる。

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