そもそも教養というものは、自分自身の志や信念を生み、それを維持、支えるものだと考えます。それは、ビジネス世界においても、新たなビジョンの策定やプロジェクトの推進などの際に、その着想や構想を支えるものは何かというと、やはりその人の持つ教養であって、単に現場での成果やスキルだけがそれを支えることはありません。
そうすると、組織をまとめる立場に立った際に、求められる価値や能力の源泉が教養であるということを自覚しないまま来ているというのが、今の日本の教育の問題点であることは明らかです。こういった問題意識から、仕事に活きる教養がすぐに身に付くということでは必ずしもないかもしれませんが、「教養」を学び直すことで、そのことを発揮する訓練の場というものが作れればというのが、プロフェッショナル・スタディーズを着想したきっかけです。
「基盤教育」という概念を導入
堀内:ありがとうございます。今のお話で社会人教育の場としてプロフェッショナル・スタディーズを立ち上げられた背景はよくわかりましたが、大学の学部についても改革に取り組まれているのでしょうか。
曄道:いまお話ししたように、大学は長きにわたって社会で生きていくための基盤を築く場であって、学びの最終の場ではないという考えに立って、2022年度から「基盤教育」という概念を導入しています。具体的には、全学共通科目といういわゆる教養科目群について、3年生、4年生になっても、たとえば哲学に触れることができる。あるいは現代リテラシーの1つであるデータサイエンスについては、すべての学部1年生で必修とし、2年生以降では必要性に応じて3年生、4年生にかけて知識、応用を積み上げていくことができる。そういった履修プログラムを採用しています。
上智大学では、現在の学生は3年次に少なくとも4単位は教養教育の科目を取らなければなりません。この「取らなければならない」というのはあまり好きではないのですが、社会を生きていく上で必要となる、様々な知に触れることが大切というメッセージを学生たちに与えたいという考えから、全学の教養教育は低学年だけでは終わらないようにしました。
堀内:私は大学を卒業後、銀行からの海外留学を経て、外資系の証券会社で働くことになったのですが、周りはみなビジネススクールやロースクールで学んだという人ばかりでした。しかし、意外だったのは、学部では歴史や哲学を専攻していたという人が多かったことです。インベストメントバンクに行くからビジネススクールで経営の勉強をしたけれども、本当に勉強したかったのはそれではないという人が多くて、同じ先進国でこんなにも違うのかと思っていました。
それで40歳のときにISL(Institute for Strategic Leadership)というエグゼクティブ教育の学校――今は至善館という大学院もつくっていますけど――のリーダーシップの講座を受講し、その後、51歳の時に東大のエグゼクティブ・マネジメント・プログラム(東大EMP)を受講しています。おおまかに言うと、20歳を少し超えたところで学士を取って、30歳の少し手前で修士を取って、40歳でエグゼクティブ・プログラムで学んで、50歳で再度エグゼクティブ・プログラムを受講し直して、さらに60歳でもう一度学び直そうと思いましたが、さすがに60歳で行けるようなよい学校もなくて。それで自分で本を書くことで学び直そうと思って『読書大全』という本を執筆しました。
ということで、私の場合、10年に一度ぐらいまとめて勉強する機会をつくり、自分の頭のOS(オペレーティングシステム)をアップデートすることを意識的に行ってきたのですが、同じような危機感を持っている人はあまりいなくて、友人も同じ会社の中で偉くなることしか考えていないという人がほとんどでした。ですから、曄道先生のイニシアティブで社会人の学びの場を創造しようという試みは素晴らしいことだと思っています。