堀内:最後に「教養とは何か」について、改めて曄道先生のお考えを聞かせていただけませんでしょうか。
曄道:教養とは何かという問いは、かなり哲学的な意味を持つ問いだと思いますが、私なりの解釈を申し上げると、たとえば教養という言葉は大学の中で使われるときに、なぜか「一般教養」という言い方をされることが多い。どうして「一般」という名称を付けたのだろうかと思うのですが、そこは「一般」ではなく、「個」としての教養であるべきだと。
教養とは個性を育むもの
先にお話ししたことですが、教養とは、志を生んだり、信念を貫く一つのエネルギーになったり、あるいは新しい着想に向かったときに駆使するものであったりというように、その人自身の行動の支えになるもので、まさに教養が個性を育むと言ってよい。
したがって、教養とは何かという問いに対する答えは、「創造的な応用力を導く智力」と表現したいと思います。その智力とは、個性を育み、志を生み、他者との関係性を築き、創造的な仕事を生むという、極めて高度な応用力を導くものであると考えます。一人の人間にとって、まさに社会で生きる基盤と言えるでしょう。
知のダウンロード型では不十分ということは、最初に堀内さんとお話をしたときから意気投合した点で、最近の若い人たちは知のダウンロードを行うと、それは情報として取り込まれてしまって知識にはならないと。情報を知識にするということは、その情報に対する解釈が必要になるわけですが、その人が教養として身に付けたものや、その人の経験の積み重ねがあってはじめて解釈ができるようになるのです。
そういう点からも、教養とはけっして若い時期に座学として学ぶだけのものではなく、社会に出てからも様々な経験を通して継続的に深めていくべきものと考えています。
堀内:よくわかりました。いろいろ貴重なお話をありがとうございました。
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