同様に、事務処理については病院と同じように、事務専門スタッフを増やそう。大学は大学職員が十分いるが、小中学校は足りていない。で、教師は授業に集中する。これも行われているが、カネと気合いが足りない。
「教員のなり手がいない」と嘆いていても始まらないから、教員以外の人手を増やす。こちらも、ちゃんとカネと敬意を払う。いじめ対策、メンタル対策も必要性は認識されているし、人員を増やそうとしているのはすばらしい。あとは、さらなる気合いとカネだ。同様に、さまざまなことを分業して行っていく。そのための組織だ。
「無駄な仕事」を減らし、授業や補講を増やせ
そして、仕事を減らす。余計な仕事の大半は、社会がすべての面倒なことを「先生」に押し付けていることによる。いわゆるモンスターペアレンツには毅然と学校は対応し、社会もメディアもそれを支持する。そして、それに対応する専門家を必ず雇う。
また、文部科学省の「アリバイ作り」のような書類仕事もすべてなくす。世はガバナンスブームであるが、形式的なガバナンス活動は、疲弊だけをもたらし、実効性はゼロ、いや、プロセス管理でやって気になるから、害でしかない。
官僚というか、多くは政治家と世論のせいだが、何か問題が起こるとアリバイ作りで調査委員会を作り、管理制度を作り、ただ、書類と疲弊だけが残る。管理・監督も必要だが、1つの仕組みで良い。1つ制度を作ったら、前の制度はすべてリストラする。政策のリストラが最も必要な政策だ。
個人的な意見を言えば、学校の行事も激減させる。修学旅行はいらない。思い出作りなどいらない。思い出は自然にできる。どうしても課外教育が必要なら、キャンプや登山をすればよい。観光地や海外への修学旅行こそ、貧困家庭いじめであり、授業料無償化、給食無料化よりも必要なことである。
そして、授業時間を増やす。補講も増やす。部活もいいが、放課後は小中学校とも補習授業を行う。これは選択制で、生徒に選ばせる。
このときは進捗別に個人指導を行い、授業がいらない人は、帰ってもいいし、スポーツの「補講」として部活をしてもよい。これは、学校で学童保育を全員に提供することにもなる。これもカネと気合いをかけて、徹底的に良いものを提供する。貧困家庭など、さまざまな家庭への支援になる。
これを学校内でやってもいいし、物理的に学校外でやってもいい。学校以外の「場」があった方が良い生徒もいるからだ。この時、なんでも、学校に責任を押し付けない。学校がやっていることで事故がおこったら、責任を取らされる、学校の外の活動に学校が責任を負えない、こういう無駄な責任の押し付け合いの議論もやめる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら