成功者の参拝での祈り方には2パターンあった 強運を呼ぶ込むために大切なある共通点
そして第2条は「寺社異なるといへども崇敬これ同じ」と記されています。お寺と神社は違うものですが、同じように敬いましょうということです。
なぜ敬うのでしょうか?
敬っていない相手から人は何かを受け取れない
神様を敬う動作は、「頭を下げる」ことであらわします。尊敬していない相手に対して、人は教えを自ら受けることはありません。特に嫌いな相手や軽く見ている相手の発言や行動を肯定したり賞賛したりすることは難しいでしょう。むしろ反射的に否定や批判することが多いと思われます。
つまり敬っていない相手から人は何かを受け取れないのです。物品や金銭など形あるものなら受け取ることはできるでしょう。しかし愛情や知恵、親切など形のない精神的なものを受け取ることはできません。正確には、受け取る気にならないわけです。
そして、神様は実体のない精神的な何かの究極です。神様の愛や知恵や命(みこと)を受け取るには、その神様に対する敬意は必須と言えます。敬意を持つからこそ、素直に神様の威(い)に乗(の)ることができます。
素直な意宣りは、自分に対する本気の誓い・約束です。本気の誓約だからこそ、自力で「やり抜く力」になります。
素直な威乗りは、自然や人々への本気の信頼です。本気の信頼だからこそ、他力を「受け取る力」になります。
年齢を重ねたり、ある程度成功して立場ができたりすると、人はやり抜く素直さも、受け取る素直さもなくしがちです。成功したビジネスパーソンにとっても悩み所で、再びニデック創業者である永守氏のお言葉を借りると、「経営者の大敵は、驕りや慢心。周囲から指摘してもらうのではなく、自らを律し、戒めるしかない。月一度早朝からの参拝は、神様が必ず見ていると心得る大事な時間だ」(「年の初めに自戒を込めて〈永守重信氏の経営者ブログ〉」『日本経済新聞 電子版』2011年1月12日)。
大きな組織のトップになると、他力に頼りにくくなります。そんな足りない他力の部分に、神様は頼れる存在です。
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