世界の建築にも影響、日本発「メタボリズム」の正体 西洋建築と日本の歴史を通して見えてくるもの

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その建築は、モダニズムの名作でありながら、その「終わりの始まり」を告げるものにもなってしまいました。1956年に米国ミズーリ州のセントルイスに建設された「プルーイット・アイゴー」という名の団地です。

極貧地区のスラムを取り壊して、新たに11階建ての高層住宅33棟を建てたのですが、これはのちに、米国の住宅計画史上最大の失敗と評されることになりました。

Pruitt-Igoe
プルーイット・アイゴー(写真:Bettmann/Getty Images)

予算削減のためコストを下げて住みやすさを犠牲にしたこともあり(たとえばエレベーターは1階、4階、7階、10 階にだけ停止するシステムでした)、犯罪が増えるなど環境が荒廃して、団地そのものがスラム化してしまったのです。

入居者も激減したため、プルーイット・アイゴーは1972年に爆破によって解体されました。ある建築評論家は、この団地が爆破された日のことを「モダニズム建築が死んだ日」と述べています。

「建築界のヒーロー」とも呼べるミノル・ヤマサキ

このプルーイット・アイゴーを設計したのは、日系アメリカ人のミノル・ヤマサキでした。僕も長く日系アメリカ人として米国で暮らしたので、この建築には個人的な思い入れがあるのです。 

僕は戦後生まれなので体験していませんが、第2次世界大戦中の米国は、日系人にとって過ごしやすい国ではなかったでしょう。日本軍の真珠湾攻撃を受けた後は、12万人以上の日本人と日系人が自宅から退去させられ、強制収容所に送り込まれました。

僕も米国では「アメリカ人」として扱ってもらえないなどイヤな思いをしてきましたが、当時はもっと苦しい立場だっただろうと思います。そんな米国で政府や軍の仕事を手がけ、戦後の再開発事業だったプルーイット・アイゴーの設計を託されたミノル・ヤマサキは、僕に言わせれば「建築界の大谷翔平」みたいな存在です。

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