孤高の天才棋士「豊島九段」を育てた"2人の師匠" 幼き頃の知られざる師匠とのエピソードを公開

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男の子は有段者同士の対局を見つめていた。指し手はすぐに進まない。1時間以上たっても勝負がつかない将棋を、男の子はじっと観ている。わかるはずのない局面を一心に。

名前は豊島将之といった。母子が帰るときに土井は言った。

「この子は将棋に向いています。道場に連れてこられたら必ず強くなりますよ」

母親は見学にきただけで通わせるつもりまではなかった。でも土井の言葉には、不思議な説得力があった。「幼稚園が早く終わる水曜日と土曜日に連れてきます」と返事をした。

次に豊島が来た日に、土井は六枚落ちの指し方から教えた。定跡の理解は初心者には難しい。これまで何人もの子どもや女性に教えてきたが、すぐには覚えられなかった。しかし、豊島は全て一度で覚えていった。

道場にはほかにも小さい子たちが連れてこられる。子どもの将棋は早い。10分ほどで終わると、次の手合がつくまで遊び出す。大声を出したりして、常連の客から叱りつけられる光景も珍しくない。だが豊島がそうした遊びに加わることは一切なかった。手合を待つ間も、道場の後ろに置いてある『将棋世界』や棋書をいつも読んでいた。

土井が「読んでわかるの?」と聞くと、「将棋の字はわかるから。あと数字は読めます」と答えた。母親が土井に言った。「2歳のときに植物図鑑を与えたときも、文字を全く読めないのに、図鑑の隅々まで繰り返して見ていました」。

土井は関西本部で30年近く働いてきた。将棋大会があれば会場の手伝いに行き、子どもの将棋も数えきれないほど見てきた。しかし豊島のような子は初めてだった。連盟職員たちに言った。

「すごい子がきた。あの子はきっと関西を代表する棋士になる」

自分がかなえられなかったプロへの夢

土井が奨励会を退会したのは32歳。初めて年齢制限が設けられたときだった。

「中学3年から、ずっと将棋だけでした。三段まで上がりましたが、その年までやったら自分の才能はわかりますから。悔いはなかったです」

11歳下の桐山清澄(九段、のちの豊島の師匠)が入会してきたのは、土井が22歳の時だった。

「桐山さんはまだかわいい子どもでした。最初は負けてばかりで、弱い子が入ってきたなという印象でした」

当初は桐山とは角落ちくらいの実力差があったが、三段リーグで並ばれる。土井の記憶では三段での最初の2局は自分が勝ったという。しかし半年が過ぎた頃には、桐山にはもう勝てなくなった。

「ああ、この人は棋士になるな」と思った。悔しさは以前ほど感じなくなった。何度も経験してきたことだ。

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