「報酬や数値目標」の追求がもたらす残念な結果 数値化が誤った方向に組織や社会を導くとき

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だが、実際に重点が置かれているのは簡単に測定できるものだけ、つまり切符の枚数だ。 違反切符の数が多ければ多いほど、委託された企業の能力は高いとみなされる。

これまで言うのを我慢していたが、言ってしまおう……もう何年も前になるが、私は交差点から4.5メートルの場所に駐車したという理由で、駐車違反切符を切られたことがある。

それは真夜中の12時過ぎで、しかも真冬だった。不満を書き連ねれば気が晴れるから書いたが、もちろん許されることではなかった。

私がようやく、切符を切った企業の穏やかな感じのカスタマーサービス担当者に連絡をとると、その人は、規則では交差点から5メートル以上離れた場所に停めなければならないが、外は真っ暗だったから、どこからカーブになっているかはっきり見えなかったのかもしれませんね、と言った。駐車違反取締係の人は、かわいそうに、真夜中にも働かなければならなかったのだ。

電話でしばらく話していると、担当者は内々に、じつはまだ予算を達成できていないから駐車違反切符を少し厳しめに切らざるを得ないのだと認めた。そして、12月に駐車する場合は必ず、いつも以上に注意を払うようにとアドバイスをくれた(ヘルゲ)。

数量化の対象は簡単なものになりがち

「測定できないものは管理できない」と、経営の神様とも称されたピーター・ドラッカーは言っている。

ただし、企業をはじめとした組織での数字に関する難題は、数量化が最も簡単なものを測定し、注目しがちになることだ

そして、公共部門が民間企業のように運営され、数量化され、測定される、新しい行政管理という考え方に寄せられるおもな批判は、単純に公共団体は民間企業ではないという点だ。

公共部門は複雑で、検討事項も多ければ利害関係者も多く、数字に焦点を合わせようとして、全体にとって重要な領域の人材と能力を割くことも多い。

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