「テーマパーク化した大学」を経たZ世代の不都合 先生と生徒が共犯でうみだす「いい子症候群」

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子持ちのご家庭なら、飽きるほど思ったことがあるだろう。子どもは、特に小さい子どもは、親やオトナの意向なんて知るわけもなく、傍若無人に大暴れする。「ちびっこギャング」に疲れ果てた親御さんは、修飾語を足して、聞かない子どもに語りかける。

「頼むから、いい子にしててね」

こうした親御さんにとって、非常に強力な文明の利器がある。タブレットとYouTubeだ。お気に入りのYouTube動画を視せておけば、暴れまわる子どもたちはウソのように静かに映像に見入る。このとき、子どもは「いい子」になる。

ここまでは良いだろう。で、ちょっと考えてみてほしいのだ。YouTubeに見入って静かな子どもが「いい子」だという意味を。

言葉というのは多義的で、場合によって意味は異なる。年を重ねれば、親孝行をしてくれる子が「いい子」なのかもしれないし、礼儀正しく品行方正であることが「いい子」なのかもしれない。

しかしYouTubeの例で言うなら、いい子である条件はきわめてシンプルである。「黙って座っていること」だ。子どもが幼少期ならわかる。小さい子どもは本当に手がかかる。最近は共働きのご家庭も増えて、「頼むから」と、どれだけの親が思ったか。黙って動かない、手のかからない子どもは、心から「いい子」と言えるだろう。

「いい子症候群」はどこから生まれたのか

しかし。いい子は、いつまでいい子なのだろう。つまり、大学の授業で「いい子」である必要はあるのだろうか。

単刀直入に言えば、筆者は授業をしていて気付いたのだ。ああ、この学生たちはもしかして、「黙って座っていれば、いい子だと思ってる」んじゃないかと。三つ子の魂、二十まで。高校を卒業してハタチ前後になっても、三つ子の頃のことを忘れていない。

学生たちは、ただ何もせず座っている。手も挙げず、ノートも取らず、たまにスマホをいじったり。当てても苦笑して横を見るだけだ。なのに、なぜか教室には居る。授業には来る。こういう性質はどこから来たのだろうと不思議にも思い、そして気付いたことがある。「いい子症候群」はきっと、小中高と積み重ねられた先生たちとの「共犯関係」の産物なのだと。

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