「テーマパーク化した大学」を経たZ世代の不都合 先生と生徒が共犯でうみだす「いい子症候群」

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そして、この様相は大学でも似たようなものになっている。大学教員がよく使う言葉に「授業負担」「教育負担」がある。要はいくつの授業コマを担当するかという話で、「今、授業負担どのくらいですか?」とか、「あの大学は教育負担少ない」とか言ったりする。授業は負担なのである。大学教員はどちらかといえば教育のプロではなく研究のプロだということもあって、授業を担当することを前向きに捉えている人は必ずしも多くはない印象だ。少なくとも、授業負担という言葉が成立する程度には。

もちろん教育に真摯に向き合う先生もごまんといらっしゃる(というか、ほとんどの方はとてもまじめに教育に向き合っている)。ただ、学生数の多い大学だと、自分の専門とは違う分野を担当したり、数百人が受ける授業を複数担当したり、20〜30人の卒論を1年で担当したり(!)することもある。たしかに過大な負担だ。

このような状況だと、大学でも共犯関係は成立する。先生はできるだけ手を抜く。学生はボーッと座っている。そして授業をやり過ごす。これが一番、互いにとって負担がない、Win―Winの関係。互いに無関心であることが、互いにとって一番幸福なのである。

あんまりだ、と思った方もいるだろう。もちろん当たり前だが、こんな先生と学生ばかりではないことも重々断っておく。でも、そんな答えを選ぶほどに疲弊した現場の状況が、互いに「都合の良い」最適解を導いていることは、重々承知されなければならない。別に悪いことをしようと思ったわけでもない。互いに無関心であるという関係は、どっちにも都合が良いので採用されただけなのだ。

「いい子」は会社では成立しない

でも、これはさすがにマズイ。何がマズイのかというと、小中高、大学では「いい子」がまだ成立する。だが、会社や職場では成立しない。黙って座っているだけの社員を評価してくれる会社など、ない。「リアリティショック」に直面した若者が、きっといるはずだ。

「おかしいなあ。今までは、黙って座ってるだけで、みんな許してくれたのに。この会社は違うようだ。ブラック企業なのかな?」

不快な要素が取り除かれた世界で育ってきた若者たちならば、そう思うのも無理はない。テーマパークなんて、高いお金を払った一瞬にしかやってこない、本当に夢の国なのである。

舟津 昌平 経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師

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ふなつ しょうへい / Shohei Funatsu

1989年奈良県生まれ。2012年京都大学法学部卒業、14年京都大学大学院経営管理教育部修了、19年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。京都大学大学院経済学研究科特定助教、京都産業大学経営学部准教授などを経て、23年10月より現職。著書に『制度複雑性のマネジメント』(白桃書房、2023年度日本ベンチャー学会清成忠男賞書籍部門受賞)、『組織変革論』(中央経済社)などがある。

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