「テーマパーク化した大学」を経たZ世代の不都合 先生と生徒が共犯でうみだす「いい子症候群」
また、エンタメを徹底的に追求していて、とにかく楽しい。不快なものが極力排除され、楽しさだけで満たされた空間がそこにある。まさに夢の国だ(ただし、有料である)。能登路雅子著「ディズニーランドという聖地」にも、関連する指摘がある。意訳すれば「ネズミの手は汚いもので、だから手袋をするのだ」。
大学のテーマパーク化とはすなわち、「大学を、不快を消し去ったとにかく楽しい場所だと見なす」志向を指す。不快を消し去るというテーマパークの特徴を、大学にも求めるのだ。
「テーマパーク化」にはもう1つの含意がある。学生を「客」に見立てているところだ。そもそも学生は大学に学費を払っているわけであり、その意味で顧客である。しかし、元来、学生は大学にとって客のようで客でない。テーマパークの客が(テーマパークの外で)犯罪行為をしでかしても、テーマパークが責められることはない。でも、大学生が問題を起こしたら、大学も責められる。学生は大学の一員としての自覚と責任を求められる。お金を払っていながら組織の一員として振る舞う、不思議といえば不思議な関係である。
しかし学生がお客様になってしまうと、様々なことが成り立たなくなる。「金を払ってるんだから」。「誰のおかげで食えてると思ってるんだ」。こうした傲慢な客の論理が許されてしまうのであれば、大学ができること、やるべきことは、かなり意味内容が変わってくる。
たとえば、語学で発音を直すのは失礼だ。仮に発音が間違っていようが、いい発音だね、と言って帰すのがよかろう。だって、お客さんだから(このエピソード、詳しくは拙著参照)。
若者が「いい子化」している?
話変わって、金間大介著『先生、どうか皆の前でほめないで下さい――いい子症候群の若者たち』という本がある。やや若者を揶揄するきらいがあるものの、実に鋭く若者の実態を抉っていると感じた本だ。この「いい子」とは何だろうか。日常の慣用で、よく使うフレーズを考えてみよう。
「いい子にしててね」
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