問題その2。であれば、なぜみんな買うのか?
自分に向かないシューズを買う。なぜなら、消費者とは「ほとんど何も理解していない人々のこと」だからだ。現代の商品のほとんどは、消費者にはほぼブラックボックスだ。どうやって作られているかも知らないし、本当のコストも知らない。
行動経済学的「非合理性」とは?
しかし、それ以上に問題なのは、自分に最適な商品がわからないことであり、自分に本当に必要なものがどれかもわからないし、さらに自分が本当は何を欲しているかすら知らないのだ。だから、はやっているシューズを買う。ブランドで買う。イメージで買う。印象で買う。
「いやそんなことはない。試着するじゃないか」と反論する人もいるだろう。しかし、第1に、試着して買う人は少数派だ。ひどい人は(そういう人が過半数なのだが)自分の最適なサイズを知らない。だから適当に買う。
例えばアマゾンのセールで買う。あるいはナイキの直販サイトで買う。両者とも返品可を売りにしているが、これまた返品する人は圧倒的に少数派だ。
第2に、試着しても、自分に適しているシューズなのか、まったくわからない。わかろうともしない。第3に、わかったふりをして、口コミを書いたり、さらに自分のブログなどでレポートを書いている人もいたりする。
しかし彼らは、自分の選択、買ったものが失敗と認めたくないから、ほとんどの人が絶賛する。あるいは、問題点を書きながら、結論は満足だという。これは日本でとくにひどい。批判精神がないのは文化的なものかどうかは興味深いが、今回のコラムでは脇に置いておく。
これらは、典型的な行動経済学的「非合理性」だ。
第1は、選択肢があるのにきちんと選択肢について考えない、というバイアスだ。ハーバード・サイモン流の限定合理性とも言えるが、要は消費者はぐうたらなのである。
第2は、選択肢について、その内容を理解しようとしない。できない。これも合理性の限界だ。
また、わかろうともしないというのは、ある意味、合理的であるかもしれない。なぜなら、自分の効用関数がわかっていないから、どの選択肢が自分に最適か調べても意味がないから、選択肢の内容は調べず、明らかにわかるもの、ブランド、評判、見た目だけで判断する。見た目は裏切らないからである。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら