第3は、自分の選択の誤りを認めたくない。後悔を回避するために、自分の選好を選択した商品に合わせて変えてしまう。結婚ではそれが必要かもしれないが(実は、これは私の学部の卒業論文のテーマである)、効用関数を事後的に変えてしまうという非合理性の極みだ。認知的不協和といってもよい。
選択における根底の原理が根本から崩れているワケ
つまり、意思決定科学としての経済学において”Choice(選択)”は最重要の問題であるが、そのいちばん根底の原理が、現実においては根本から崩れているのだ。
具体例を見よう。第1に、厚底シューズを初めて買う場合、どのくらいフィットすればいいのかよくわからない。普段履いている靴も実はフィットしていないものを履いている人が大半だから、まったく新しいタイプのシューズでのフィットはどのくらい、どうなっていればいいのか、わからない。
第2に、初めてでなくとも、あるいはフィット感がわかってきても、最適なものを皆選ばない。私の友人は、ナイキの厚底にしてケガが増えて悩んでいて、私に勧められてアシックスに乗り換えた。
アシックスで入念に測定してもらい、試走もして、プロのアドバイザーから、体格からも走法からも「メタスピードエッジ」(歩幅が小さく回転数が高い、ピッチ走法型のランナー向け)を勧められた。だが、結局彼女はメタスピードスカイ(歩幅が広い、ストライド型のランナー向け)を買った。
なぜだ? これは彼女に限ったことではない。人々が厚底シューズを買うときの理由。理由その1。オリンピックでも箱根駅伝でもランナーが履いている。かっこいい。速そうだ。
理由その2。見た目にクッションが分厚くてふわふわだ。足に良さそう。飛び跳ねて、速そう。気持ちよさそう。
理由その3。履いてみて、あーなんてやわらかいクッション。今までにない履き心地。跳ねる跳ねる。気持ちいい。歩いてみて、足が前へ前へ出る! これに決まり!
ブラントや知名度が第1。第2に、商品の見た目。視覚に訴える。第3に、触り心地だ。
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