菅義偉氏「派閥問題」で沈む今の自民党に思うこと 完全無派閥の前首相が国民の自民党離れに危機感
塩田:自民党への大逆風の中で、今年の7月8日、安倍元首相が暗殺で死去して2年を迎えます。首相退任後、亡くなるまで会長を引き受けていた旧安倍派が、今回、「派閥とカネ」の問題で最大の疑惑の対象として取り上げられるという事態となっていますが、一方で、首相として2012年12月から2020年9月まで、7年8カ月余という史上最長の連続在任記録を残し、長期にわたって政権を担ったという実績があります。2期目の安倍内閣では全期間、官房長官として政権を下支えしたわけですが、今、改めて振り返って、政治指導者としての安倍元首相と安倍政権の評価について、どう見ていますか。
安倍元首相の功績とは?
菅:私は官房長官でお仕えして、一言でいえば、リーダーシップと改革。これに尽きるのかなと思いますね。
経済では、安倍政権の発足前の2012年6月には、日経平均株価の終値が一時、8300円を割りました。雇用情勢も、働きたいけど働くことができない厳しい状況だったと思います。そうした中で、安倍総理は「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略」というアベノミクスの3本の矢を掲げて政策を実行し、経済は回復しました。私はあの時点でデフレは終わったと思っています。雇用も良くなりました。
外交・安全保障では、我が国の置かれている実態、取り巻く状況を直視し、やらなければいけない課題に総理大臣として取り組まれた。特に2015年9月に成立・公布した平和安全法制は、日米同盟の機能を確かなものにして、国民の命と平和な暮らしを守り抜くためにどうしても必要な法律だったと思います。ロシアがウクライナに侵攻して現在もああいう状況になっていますが、これを見ると、あのときにあの法律を作っておいて本当によかったと思っています。
同時に、「自由で開かれたインド太平洋」構想を2016年8月に政府の外交方針として提唱された。かつての日本の政治家で、これだけ世界の全体像を考えて外交・安全保障に言及した人はいなかったと思います。米国や多くの同志の国と一緒になって推進するという一つの方向性を示した。実際にそれを実行していくために、日米豪印のクアッド(QUAD)という枠組みを造られた。外交・安全保障も含めて、偉大な指導者だったと私は思っています。
塩田:以前のインタビューで、「2007年の第1次安倍内閣の終結から5年が過ぎた2012年の8月15日に安倍さんと会って、『総裁選に出馬してもう1回、政権を』と懸命に説得した」という舞台裏をお聞きしました。
菅:第1次政権のとき、安倍さんは病気で退陣され、入院・療養されました。しかし、私はこれだけ外交・安全保障、内政も含めて指導力のある改革意欲の強い政治家はいないと思っていました。そのときから、日本のために、いつか、もう一度、安倍政権を復活させるチャンスを狙っていました。
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