堀内:すごく早熟な子供だったのですね。日本には、そもそもリベラルアーツ教育に特化した大学というのはほとんどありませんから、高校生の頃に、アメリカのリベラルアーツ・カレッジがハーバード大学より良いと思うというのは、なかなかできることではないですね。
ここからは大学教育についてお話をうかがいたいのですが、現在、ご自身が身を置かれている東大も藤井総長のイニシアチブの下、2027年秋をメドに学部横断的なリベラルアーツのプログラム「College of Design(仮称)」をつくる検討を進めているようです。こうした動きについて、斎藤さんはどのように思われているのでしょうか。また、ご自身は学生をどのように教育しようと思われているのか。そのあたりのお話をお聞かせいただければと思います。
なぜ古典を読むべきなのか
斎藤:自分は下っ端の教員ですので、偉い方たちの話には関わっていないのですが(笑)、リベラルアーツを重視するという方向は賛成です。私自身の経験からもリベラルアーツは大切と思っていますし、教育者としてはやはり古典に重きを置いています。
私がアメリカのリベラルアーツで学び、日本での教育実践においても重視しているのは、古典と向き合うことで学べるクリティカル・シンキングやロジカル・シンキングです。もちろん、ビジネスマンの方には多くの古典を読破するのは難しいので、「1冊でわかる〇〇」といった入門書があってもよいのですが、やはり、コスパ・タイパを度外視して、自分でしっかりと古典を読みながら考えるということを定期的にしてほしいと思います。古典に直接触れることでしか得られないものが必ずあるからです。
それは何かと言うと、1つは、ある種の知的謙虚さだと思います。昨今は、論破王のような話も含めて、多くのことを知っていて、相手の裏をかいたり、盲点を突いたりすることがクリティカル・シンキングだと考えられがちなのですが、古典を通じて学ぶということは何百年、場合によっては何千年前の人たちがすでに、いまの私たちが抱えているような問題のかなりの部分についてかなり本質的に考えていたことを学ぶことになります。このことが、ある種の知的謙虚さを身に付けるということであり、それが考えの異なる他者との対話を可能にしてくれるのです。
もう1つは、古典を読むことによって、単なるマニュアル思考には収まらないスケールの知の体系に出合えることです。カントやヘーゲルを読むとなると、それを10分でまとめることは不可能です。そこに直面したときのスケールの大きさというのは何か途轍もないものがあって、そのようなものに触れることで、逆に、目先の効率性やマニュアル思考を相対化し、より大きな視点から社会や世界について捉えられるようになります。これからの危機の時代には、暗記やマニュアル思考では対応できない。だから古典で培われる思考力こそが重要になるのです。
こうした経験は、私自身がアメリカでのリベラルアーツ教育を通して得たものですが、古典を読んで、自らの考えをまとめ、それを自分なりの言葉で説明するというリベラルアーツの授業で得た経験は、現在の自分にとって大きな力となっていると思っています。ですから、自分の授業でも学生に対してそれを還元するようにしています。