堀内:アカデミズムと実社会との関係という意味においては、そのようにあるのが理想ですよね。
斎藤:私の場合は、社会を変えるための一つの手段として研究者という道を選んだので、そもそもの順番が逆なのかもしれませんが、とにかく、社会の不都合を変えるために尽くすことが知識人の使命だと考えています。
ところが昨今の一つの傾向として、「象牙の塔」に閉じこもり論文が認められればよいと考える人が多くなることは、社会にとって良いことではありません。研究の対象が研究費をもらいやすいはやりのテーマを選ぶといったことだけに矮小化されてしまえば、そもそも教養などなくてもいいということになってしまいます。
「良き社会」のための研究を
たとえば経済学の中でも、実社会とは直接結びつかない経済史は要らないのではという声もあります。本来、経済の研究を通じて社会をより良くしていくことが、経済という学問の目的だったはずなのに、いつの間にかトップジャーナル向けの論文が書ければいい、ビジネスでいえば金儲けができればいいというきわめて狭い視点に立つようなあり方が主流になりつつある。
先に名前が挙がった宇沢弘文さんや、私が尊敬しているのは大阪市立大学の宮本憲一先生は、今も94歳でご存命ですけれども、宮本先生と宇沢先生は沖縄の問題などにも取り組まれ、長く情報を発信してこられました。その背後には、一貫して「良き社会」のためにという想いがあったのだと思います。なかなか簡単ではありませんが、こうした偉大な先人たちの功績をしっかりつないでいく、そのことに少しでも貢献したいということが自分のモチベーションとなっています。
(構成・文:中島はるな)
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