「医学部を目指した20年」夢を諦めた彼女の行く末 医師になりたかった理由、新たな道を選んだ訳

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とはいえ、センター試験の得点は上がったものの、7割程度。この年も三重大学の医学部医学科を受け、落ちてしまいます。初めて私立の医学部医学科や大阪薬科大学(現・大阪医科薬科大学)なども受験しますが、全落ちで5浪が確定しました。

「3浪までは『とにかく頑張ろう、頑張ったらきっといける、という感じでした。でも、成績が上がってくると恐怖を抱くようになりました。頑張っても、この年にはもう(医学部医学科に)いけないのが肌感覚でわかってくるので。センター試験でこけたら、もう1年やらないといけない。この頑張った1年はほぼリセットになります。センター試験が思うように取れなくて、情けなくて悲しくて、大号泣したのもこの4浪目の年でした」

5浪目は気分を変えて、1浪で通っていた河合塾にふたたび戻る決断をします。さすがにもうこれ以上の浪人はつらいと思ったtotoronさんは、河合塾で京大の理系を目指すコースに入りました。

「もうこの年は医学部医学科だけではなく、別の学科に受かっても進学しようと思いました。浪人生活でいちばんつらかったのが、この年でした」

断腸の思いで医学部医学科受験を諦める

彼女はこの年まで落ち続けた理由を、「導いてくださる先生の不在」と考えます。

「当時はネットが発達してないので、周囲に誰も志望者がいない未知の進路に進むためには、手探りで自分の道を開拓しないといけませんでした。受験は才能・能力も必要ですが、いちばん必要なのはノウハウだと感じます」

この年も焦りから「ずっと自習室にこもって勉強していた」というように努力を続けていた彼女でしたが、京大と医学部医学科の判定はずっとEのままでした。結局、センター試験も7割ちょっとだったために、断腸の思いで京大と医学部医学科の受験を諦める決断を下しました。

この年、彼女は大阪薬科大学・京都薬科大学・神戸薬科大学・摂南大学を受験し、大阪薬科大学と摂南大学に合格して、ようやく彼女は5浪で大阪薬科大学に進学しました。

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