「医学部を目指した20年」夢を諦めた彼女の行く末 医師になりたかった理由、新たな道を選んだ訳

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totoronさんは、大阪府大阪市西淀川区に生まれました。新聞販売所に勤務する父親は中卒、母親は夜間高校中退で、家系に大卒者はいませんでした。幼少期は大人しく、成績も普通だったそうです。

「通っていた公立小学校は1学年が90人ほどで、成績は真ん中でした。そのまま地元の中学に進学し、中学でも1学年百数十人の中で、真ん中よりやや上の程度の成績でした」

将来の夢は特になかったというtotoronさんでしたが、小学校のときにそろばん塾(学習塾を兼ねる)に通っていたことが、現在にも生きているそうです。

「私が通っていた塾は、夕方はそろばん塾で、夜には学習塾に姿を変える場所でした。そろばん塾も、学習塾も、同じ先生が指導してくださり、勉強をサボると手が飛んでくるようなきびしい環境でした。ただ、そこで頑張ることができた結果、第1学区の東豊中高校(現:千里青雲高等学校)に無事進学できました」

同高校に進学できた理由として、彼女自身は「問題を起こさない真面目な生徒としてすごし、それなりの内申点も確保できたため」と振り返ります。

中学生のころから大学に行きたいと思っていたtotoronさんは、1年生から受験対策を始めるようになります。きっかけは「大学入試指導センター」という会社からかかってきた教材の購入の勧誘電話でした。彼女はそこの教材を日々やりこんで、来る受験に備えるようになります。

「高校は1学年9クラス・計270人ほどでした。成績はまたしても真ん中くらいでしたが、大学受験には高校の成績は関係ないと考えていたため、成績のことはあまり気にしませんでした」

医師の夢を抱くも、勉強方法がわからない

そんな彼女は、高校2年生になると、医師になるという夢を抱くようになります。左目がぶどう膜炎になった際に、その担当医がとても親切だったことがきっかけだったそうです。勉強に身が入るようになった彼女ですが、勉強方法を相談できるような人は身近にはいなかったそうです。

「本当に五里霧中といった感じでした。相談しようにも、どうしていいのかがわからなかったのです。高校の同級生に医者を目指す人は皆無、学校の先生に相談なんてとてもじゃないけれどできず、とにかく自分でやるしかない、という感じでした。休日は、個別指導の先生に見てもらったり、梅田にある自習室(大学入試指導センター)で勉強していましたが、到底医学部医学科に合格する学力は身につかず、現役時のセンター試験は、半分も取れませんでした」

この年は、医学部医学科への受験は断念し、近畿大学の生物理工学部を受けたものの、不合格に終わります。

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