「医学部を目指した20年」夢を諦めた彼女の行く末 医師になりたかった理由、新たな道を選んだ訳

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5浪で大阪薬科大学に入学したtotoronさんは、ひたすら中学受験の塾でアルバイトをしながら、勉強に打ち込む日々を送ります。「医学部医学科落ちがたくさんいるし、授業自体も面白かった」と満足していた大学生活。しかし、その生活も2年目で終わりを告げます。

「親が大学に行っていないこともあり、薬学部が6年間通うところだとしらなかったんです。1年目は日本政策金融公庫でお金を借り入れてもらい、授業料と入学金を合わせた400万をなんとか大学に納めたのですが、親の事業の失敗もあって、次の年からはとても払えないということで休学しました。

今思えば、奨学金を調べて駆使したら、卒業まで通えたかもしれませんけどね……。そこから私は、とにかくどこかの大学を出なければいけないと思い、そのためには再度受験するしかないと思って、ひたすらバイトでお金を貯めながら、センター試験を受けました」

2年生で休学したため、7浪目の年にふたたびセンター試験を受験。このときの結果は、7割弱で5浪のときと同じくらいでしたが、2次試験の対策に自信があったため、奈良女子大学の理学部数学科に出願しました。その結果、ボーダーからマイナス50点ときびしい状況を2次試験で覆し、7浪で奈良女子大学に入学できました。

ふたたび医学部医学科を目指したきっかけ

こうして波瀾万丈の浪人生活を終えたtotoronさんは、満足した日々を送れたようです。

「大学生活はとても楽しかったです。教授陣のレベルが高くて丁寧に教えてもらえたので4年で卒業できました。学問に真摯に向き合う時間を持てたことは、私という人格を作るのにとても貴重な時間でした。今となってはそんな当時を羨ましくも思えます」

濱井正吾 浪人 医学部
totoronさんが通った奈良女子大学(写真:けいわい / PIXTA)

とはいえ、もう一度医学部医学科を目指すことに決めたtotoronさん。その理由は教授から背中を押してもらったことにありました。

「実は在学中も毎年センター試験を受けていましたが、ダメでした。3年生のときに、4年の研究室配属前に、教授に『数学で頑張っていく気があるなら、研究のサポートをします』と言っていただきました。

しかし、心のどこかでいつも医学部医学科受験のことがあったので、正直にこれまでのことを伝えたら『それは頑張ったほうがいいよ』と背中を押してくださいました。結局、大学を卒業してからもずっとセンター試験を受けて、医学部医学科を目指すようになりました」

奈良女子大学に入る前の浪人時代と合わせて、センター試験を受け続けた結果、最高パーセンテージは75%だったようですが、医学部医学科には届かず、受験を続けました。

しかし、2021年の第1回共通テストを最後に、ついに挑戦し続けた20年に終止符を打ちます。

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