一方、男女の違いは社会的に作られたものであり、環境によるものが大きいという説は、教育社会学、女性学・男性学などで多くの研究者のテーマとなってきました。男の子が男らしく、女の子が女らしく育っていくこと、職業選択に差がでることなどは、「ジェンダーの社会化」といって、家庭や学校、アニメなどのメディアなど、さまざまな場で後天的に身に付けてしまうものだという見方です。
前回書いた「無意識の偏見」の一部かもしれませんが、同じ行動をとっても男女でそれに対する評価が異なれば、「望ましい」と見られる行動の方に人は合わせていくわけです。たとえば「男は稼ぎ、女は家を守る」という性別分業意識や、「男たる者、弱味を人に見せるものではない」「女は控えめなほうがいい」といった社会規範はさまざまな形で私たちの中に入り込んできます。
「成功不安」はなぜ起きるのか
もちろんこういった規範の内面化をしている度合いも、人により大きく異なるわけではあります。あくまでもそのような傾向がある、ということでしかありませんが、心理学でも女性には「成功恐怖(不安)」といって、男性を打ち負かしてしまうと嫌われるのではないかと不安を抱え、成功や挑戦をしなくなる現象が指摘されています。行動経済学では、さまざまな競争をさせる実験をすると、男性はよりリスクを取るのに対して、女性は守りに入りがちで、これが統計的な昇進格差や経済格差につながる可能性が指摘されています。
こういった現象に対して、「オスは本能的に狩りをするものだ」と生物学的説明をしたい人もいるでしょう。でも、有名な論文で、男性と女性のどちらが競争に積極的に参加するかを、父系社会であるタンザニアのマサイ族と母系社会であるインドのカーシ族で比べると、逆の結果になるというものがあります(Uri Gneezy & Kenneth L. Leonard & John A. List, 2009.)。
今、日本の女性活躍推進の動きに対して、次のようなことがよく言われます。「働きたい女性ばかりじゃない」「女性自身が政府や企業が望むように輝きたいとは思っていない」「そもそも女性は男性ほど、出世に関心がないし、管理職にはなりたがらない」――。もちろん、今の社会を前提に育った人たちの中でアンケートを取れば、実際に目に見える形でそのような結果が出てくることもあるでしょう。
でも、育つ環境や、男性が稼ぐことが前提となっている社会制度が変われば、女性がそもそも外に出ることに向いていないだとか、望んでいない、リスクを取りたがらないなどという状況は変わる可能性があります。
もっと短期的に言えば、育児に対する社会的サポートが不十分な状況、また、長時間労働が前提とされる働き方が変わっていけば、専業主婦になりたがったり、管理職になりたくないと言ったりする女性の選択は変わる余地があると思います。
裏を返せば、早く帰って育児をしたい男性や、できれば働きたくないと思っている男性だって一定数いるはずです。それなりの収入の保障がある女性だけがさまざまな選択ができるという状態で、「その選択を尊重すべきだ」というのではなく、男女ともに様々なオプションが取れるような社会が理想ではないでしょうか。
個人の意識のありざまを批判するのではなく、どうしてそうなっているのか、阻害要因を取り払うことができないかを考えていきたいものです。
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