成績は文系・理系合わせて上位2割だったそうですが、理科が苦手だったので文系コースを選んだところ、上位1割の成績になったそうです。高校2年生の秋からは部活もせず、第一志望群を一橋大学、東京外国語大学、早慶の上位学部に設定して、日々熱心に勉強を続けていました。
「東大は科目数が増えるので、現役での進学は難しいかなと思いました。優先度的には東京に行くほうが上だったので、消去法で一橋にして、早慶にも入れればいいかなという感じでしたね」
高2、高3の模試では、一橋大は厳しく、東京外大や早慶であればギリギリ手が届くかもしれないという成績だったそうです。名古屋大など地方の旧帝大も狙える位置にはいましたが、東京に行きたかった伊藤さんは首都圏の大学に絞りました。
地元の名古屋大を目指す人が多い中、こうした思い切った選択を取れたのは、今の彼を形作る”あるSNS”を始めたことも大きいようです。
「高校2年生のときにTwitterを始めたんです。そこで『受験界隈』があることを知って、さまざまな投稿を眺めていました。衝撃でしたね。今まで、地方の秀才である周囲の同級生のサンプルしか知らなかったのですが、東大模試でA判定や、全国順位1桁の点数の模試結果をSNSに載せて『微妙やったわ〜』と言う、灘生や開成生を見てしまったんです。それ以来、休日に7~8時間は勉強していたのですが、日本トップランカーのツイートが面白すぎて勉強の合間にずっと見るようになりました。それが、自分のTwitter人生の原点です」
いまXで約9万人のフォロワーを誇る彼の原点は、高校時代にあったのです。
彼の人生を変えたSNSの”受験界隈”
こうして当時はまだ珍しかったSNSを駆使し、全国のライバルの動向を見ながら勉強を続けた伊藤さんは、センター試験で8割を確保。名古屋大なら射程圏内でしたが、一橋大を受けるには物足りない点数でした。
結局、念願だった東京の大学からは1つも合格をもらえず、かろうじて同志社大学の法学部に合格し、現役時の受験を終えます。彼はここで、同志社大には進まずに浪人を決断します。
その理由は「Twitterの”受験界隈”を見ていたから」だったそうです。
「早稲田に受かったら行っていたと思うのですが、ネットの世界で強者をたくさん見ていたので、単純に自分の知らないもっと上の世界を見たいと思ったんです。それで、浪人の1年間は河合塾に通うことに決めました」
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