伊藤さんは、愛知県岡崎市にトヨタ自動車に勤める父と母の元に生まれました。
「父親は京大を出た総合職で、出張で忙しく、子どもの教育にもあまり干渉しない人でした。母親は地元の女子大を卒業後、一般職として働いており、子どもに理想を押し付ける感じでもなく、自由な環境で育ててもらいました」
放任主義の子育て方針もあり、伊藤さんは塾には行かず、外で駆け回っていた幼少期だったようです。しかし、幼稚園が終わるタイミングで彼に転機が訪れます。
「父がMBAを取得するため、アメリカの大学院に留学することになったんです。学校が9月スタートだったので、小学校に上がる半年前から小学2年生の途中まで、アメリカですごしました」
英語は苦戦したものの、現地の授業では算数がとても簡単だったこともあり、学校の成績は悪くなかったそうです。
「学校に机がなくて、授業中に出て行く子もいる、自由な校風でした。国籍はブラジル人・ヨーロッパ人・韓国人など多様で、授業も当時日本では珍しかった、討論やグループ活動中心のアクティブラーニングでした。そうした環境を2年経験したことが、いまの『つねに常識を疑う』スタンスにつながっていると思います」
愛知を離れ、東京に出たいと思った
多感な幼少期を海外ですごした彼は、日本の小学校に帰ってきてから「みんな机に座って何も言わずに、当たり前のように授業を聞いていたこと」に驚いたそうです。
日本でも、小学校ではつねにクラスで1〜2位の成績をキープ。中学校に上がるタイミングで父親がトヨタ本社の近くに家を建てたため、引っ越しして、豊田市の公立中学校に進学します。進学後も、250人の中でトップ5には入れないものの、上位の成績をキープした伊藤さん。
地元では、「この環境から名古屋大学や名古屋工業大学に入り、名古屋の一流企業に行くのがエリートコース」だったそうです。
生活するうえで、何も困ることはない環境でしたが、当時から伊藤さんは「もっと広い世界を見たい」と考え、この街を出ようと思っていました。
大学で東京に出ることを決意した伊藤さんは、高校受験を決意します。ところが、内申点が足りず、三河地方トップの岡崎高等学校などの進学校の受験は断念せざるをえませんでした。その結果、彼は最終的に偏差値65ほどの私立高校に進学します。
高校に進学した伊藤さんは、自分が通っていた学校について「みんなと話が合い、居心地がよかった」と話します。
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