台湾有事は避けられるか「百害あって一利なし」 「現状維持」を望む台湾の人々が大多数の現実
また、台湾人約100万人が大陸で経営者・技師、熟練工などとして勤務し、台湾の就業者は1114万人だからその1割程に当たる人々は大陸で働いていることになる。台湾の失業率は3%台だから多分職がないわけではなく、大陸に進出した企業は魅力的な職場なのだろう。
中国大陸と台湾の親密さを示す指標の一つは航空便だ。2008年に海峡両岸間の通信、通商、通航の自由を認める「3通」が完成、中台間に直通定期航空便の運航が始まった。
これは年々拡大し、2019年12月にコロナ禍が発生する前には月に1345便もの定期便が飛び交っていた。台湾には主要国際空港が4カ所開設され、大陸側50都市の空港に飛んでいたから便数が多いのだ。
仕事のために往復する乗客だけでなく、互いに観光や親族訪問も多く2019年には大陸から観光客271万人が台湾を訪れた。
観光旅行者の数が示すように、大陸に住む中国人と台湾に住む中国人の間には敵対感情はないようだが、台湾の中では第2次世界大戦前から台湾にいた「本省人」と、戦後中国大陸で中国共産党軍に敗れ台湾に逃げ込んだ将兵と家族など「外省人」の間には、蔣介石時代の「白色テロ」など激しい対立が起きた。
台湾の「本省人」と「外省人」の関係
台湾は日清戦争の結果1895年に日本に割譲されたが、清朝の巡撫(じゅんぶ、知事に当たる)唐景崧(とうけいすう)が「台湾共和国」の独立を宣言し、約5万人の兵と民兵を率い、進駐した日本軍に対抗した。
4ヵ月の戦闘で平定されたが、日本軍にはチフス、マラリアなどにより7000人以上の病死者が出た。
その後50年間の日本の統治は比較的温和で近代化が進み生活水準が高くなったから、約2世代日本国民だった住民の多くは親日的だった。
しかし日本人による支配、特に進学、昇任の差に反発する感情も当然あったから、第2次世界大戦後、台湾が中国に返還されたことを台湾人は喜び、大陸での内戦に敗れた蔣介石の国民党軍が大挙台湾に流入するのを当初は歓迎した。
だが、国民党軍の腐敗、規律の悪さは本土での内戦中にも甚だしく、民衆の反感を招いたことが敗北の主因となり、支援していたアメリカ軍幹部たちも国民党軍を見限るほどだった。
台湾に逃げ込んだ国民党軍兵士の横暴、略奪に怒った「本省人」は「犬去豚来(うるさいが正直な日本人が去り、貪欲な豚が来た)」と嘲笑した。
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