なぜ反原発運動は黙殺されてきたのか--偏見と無関心の厚い壁、「枠」を壊し反転攻勢

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「反対」を掲げぬ運動 白紙撤回させた教訓

多くの反原発運動と同様に、巻町でも従来、原発反対派は「共産主義者」、「電気を使うな」と揶揄されていた。原発の是非は政治思想やエネルギー問題全体にすり替えられ、危険性を訴えても伝わらないというジレンマが広がっていた。そこで「あえて原発反対を唱えず、純粋にこの町に原発が欲しいか欲しくないかだけを問うた」と笹口氏は話す。

これまで原発問題に口をつぐんでいた女性たちも独自の運動を展開した。保育園の父母が中心となり「青い海と緑の会」を結成。選挙カーには親しみやすいようにと子供たちが絵を描き、「集会」は堅苦しいと「集い」に統一。会議の際も皆の平等さを重視し、町会議員が来ても雛壇を作らず、車座になった。

この結果、従来反対の声を上げなかった人々が投票に現れ、95年に自主管理で行われた住民投票では反対派が圧倒的な勝利を収めた。96年に笹口氏が町長に就任し、建設予定地内の町有地を反対派に売却。2004年に東北電力は建設計画を白紙撤回した。従来型の反原発運動の枠を壊したことが勝利につながった。

枠を壊す、という点では冒頭の高円寺デモも同様だ。主催した松本哉氏は高円寺にある「素人の乱」という中古品店の店主。ツイッターなどを通じてデモを呼びかけ、大規模デモを準備期間10日間で軽々と実現した。松本氏は成功のポイントを「従来のように服装の統一など面倒なことはしない。自由度は満足度につながり、それが次のデモにつながる」と話す。

かつて、巻町では反対派の自宅に毎日50通もの嫌がらせの手紙が届く、車のタイヤがパンクさせられるなど、1年以上にわたり執拗な迷惑行為が続いた。しかし、今回の原発事故を経て反原発派へのまなざしは変わった。松本氏は、嫌がらせはいっさい無く、むしろ声援を受けるという。ドイツやスウェーデンでは、国民投票やデモが国の原子力政策を方向転換させた。日本は福島の悲劇を次の一歩へとつなげることができるだろうか。

(週刊東洋経済2011年6月11日号)

※記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。
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