そんな状況を好機とみたのが、藤原道兼である。道兼は一緒に出家するフリをしておきながら、花山天皇の剃髪を見届けると、寺から抜け出して、そのまま帰ってこなかったという。
時期としては、花山天皇の退位は忯子の死から1年後のこと。その間にも、婉子女王が新たに入内している。ほかの女性で悲しみを紛らわせようとしたが、なおさら喪失感が深まったのだろうか。
一条天皇の即位で、兼家は権力を掌握
その間、道兼が粘り強く、出家させるタイミングを計っていたと思うと、陰謀もより恐ろしさを増す。そして、その背景には父・兼家の思惑があったことは、その後の展開をみても、間違いないだろう。
花山天皇が退位したことで、一条天皇が7歳で即位する。兼家からすれば、娘が生んだ懐仁親王が、ついに天皇へと駆け上ったことになる。
天皇の外戚として摂政となった兼家。紫式部の父・藤原為時が、花山天皇の退位によって、ようやく得た官職を再び失うのとは対照的に、兼家は権力を掌握していくことになる。
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
笠原英彦『歴代天皇総覧 増補版 皇位はどう継承されたか』 (中公新書)
今井源衝『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
倉本一宏『敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇』 (角川ソフィア文庫)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
鈴木敏弘「摂関政治成立期の国家政策 : 花山天皇期の政権構造」(法政史学 50号)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
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