グーグル「謎多き日本法人」で起きていること

トップブランド構築の裏にある葛藤とは?

2004年に来日した際のラリー・ペイジ氏(右)とサーゲイ・ブリン氏。2人の共同創業者は、来日時には秋葉原の電気街にお忍びで訪問していた

グーグルの日本法人が設立されたのは、2001年8月。当時、グーグルが世界で初めて海外に設けた現地法人だった。設立当時の取締役には、共同創設者で現CEOのラリー・ペイジ氏(42)や、同じく共同創設者で現特別プロジェクト責任者のサーゲイ・ブリン氏(41)などが並んでいた。

代表取締役は1995年5月にグーグルで初めてエンジニアではない営業職で入社した、現最高事業責任者兼CEO特別顧問のオミッド・コーデスタニ氏(51)が務めていた。

当時グーグルの海外展開において、世界的に「モバイル先進国」の日本市場は重要な意味を持っていた。狙いを定めたのは携帯キャリア会社との業務提携だ。『グーグル革命の衝撃』(新潮社)によれば、2001年にペイジ氏が来日した際、NTTドコモのiモード向け検索サービスの記者発表会で「日本の携帯電話は高速で画像の解析度も高くてとても気に入っている。携帯電話では最先端の技術を持つ日本で様々なサービスのテストを行いたい」と述べたという。

2003年4月~2009年1月にグーグル日本法人の代表取締役社長を務めた村上氏。若い社員たちから慕われる存在だった

さらに2004年にペイジ氏とブリン氏が来日した際、「東京の開発センターでは携帯事業に力を入れ、携帯電話での情報検索をさらに便利にしたい」と発言。2005年にはエリック・シュミットCEO(現会長、59)が日本法人社長の村上憲郎氏(当時、68)を伴い、東京・飯田橋のKDDI本社を訪れ、KDDI社長の小野寺正氏(当時、67)と面会した。

グーグル側から申し入れた面談だったという。その後2006年にグーグルはKDDIと業務提携を結び、auのインターネットサービス「EZweb」にグーグルの検索エンジンが採用されることが決まった。

立ちはだかるヤフー・ジャパンの存在

なぜグーグルは、日本市場で携帯キャリア会社との提携を急いだのか。最大の理由はモバイル先進国ということ以上に、検索・ポータルサイトのガリバーとして君臨していたヤフー・ジャパンの力が大きかったためと見られる。今でこそ日本での検索シェアはヤフーとグーグルが拮抗しているが、グーグル日本法人のOBは口を揃えて「当時のヤフーは圧倒的に強かった」と語る。それほど、ヤフーはグーグルにとって懸案の存在だった。

日本への力の入れようは、人事にも現れていた。2003年4月に米国本社の副社長兼日本法人代表取締役社長として、外資系企業での経験が豊富な村上氏を招聘。その後村上氏は2009年1月に名誉会長へ退き、後任社長に元ソニーの辻野晃一郎氏(57)が就任した。村上氏は2011年1月まで名誉会長職を、辻野氏は2010年4月まで社長職を続けた。この頃は日本法人に裁量権が委ねられ、「ヤフーに追いつけ追い越せ、と一体感があった」(前出と別のOB)という。

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