名経営者がこぞって読む「菜根譚」の秘密 松下幸之助、田中角栄、川上哲治も読んだ
才ありて徳なきは、家に主なくして、奴、事を用うるが如し。
幾かん何ぞ魍魎にして猖狂せざらん。
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「人格が主人で、能力は召使いにすぎない。能力には恵まれても人格が伴わないのは、主人のいない家で、召使いがわがもの顔に振る舞っているようなものである。これでは、せっかくの家庭も妖怪変化の巣窟と化してしまう」
「高い能力」はリーダーの邪魔になる
仕事を成功させるためには、能力や才能を必要とすることは言うまでもありません。経営者で言えば、経営手腕ということになりますが、これに恵まれることが必要条件となるでしょう。
では、能力さえあればそれで十分なのか。
そうではありません。能力にも増して必要とされるのが、徳だというのです。徳とはどういうことなのか、一言では説明しにくいのですが、人柄とか人格的な要件を指しています。
面白いたとえですが、言わんとしていることはよくわかります。
どこの組織にも、やり手とか切れ者といわれる人たちがいます。ばりばり仕事をして、それなりに一目置かれたり、頼もしがられたりしていますが、切れすぎて何をやらかすかわからんという危なっかしさも併せ持っています。それを警戒されて、必ずしも全幅の信頼を得ているとは言えないところがあります。
こういうタイプは、調子に乗って仕事をしているときはいいのですが、一度つまずくとあっという間に転落し、「あの人、どこへ行ってしまったの」ということになりかねません。それもこれも、能力には恵まれていたが、徳には欠けているからだと思われます。
また、徳については、こういうことも言えます。リーダーのいちばん大きな仕事は、部下をやる気にさせることです。そのためには一人ひとりの適性を見分け、持てる能力をうまく引き出してやる必要があります。ところが、なまじ能力に恵まれたリーダーは自分の能力だけで仕事をしようとします。
その結果、かえって部下のやる気をそいでしまうケースもないでもありません。誤解を恐れずに言えば、リーダーにはそれほど大きな能力は必要ありません。要は、能力のある部下を使いこなすことができればそれでいいのです。
そのためには何が必要になるかと言えば、やはり徳です。能力は場合によっては、むしろ邪魔になるかもしれません。
筆者は、いろいろな企業の管理職研修に招かれて出向いてきました。日本の企業はどこも熱心に社員研修を行ってきましたし、社員のレベルアップに寄与してきたことは疑いありません。
ただし、問題もあります。それはほかでもありません。能力を磨くことに力を入れるあまり、人格面の陶冶をおろそかにしてきたように思われることです。
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