名経営者がこぞって読む「菜根譚」の秘密 松下幸之助、田中角栄、川上哲治も読んだ
企業の研修だけではありません。それぞれの自己啓発についても同じことが言えます。知識の習得には熱心だが、肝心の人間を磨くことを怠ってきたように思われてなりません。
もちろん能力を磨くことは必要です。しかし、人格の陶冶を怠ったのでは、周りの信頼が得られません。両面の努力を、心ある人々に望んでおきます。
完璧主義なリーダーほど組織がまとまらない
⇒
「汚い土には作物が育つが、澄みきった水には魚も住まない。汚いものもあえて受け入れる度量を持ってこそ君子といえる。独りよがりの潔癖は避けるべきだ」
「自分は厳しく律するが、人には寛容な態度で臨む」が人間関係の基本ですが、ややもするとこれが逆になりがちです。それでは人間関係がうまくいくわけはありません。
自分に厳しいタイプの人は得てして人にも厳しく臨もうとします。中には自分にはできもしないような高い水準を相手に要求する人もいないではありません。
これでは相手も迷惑というものでしょう。そんなことをしていたのでは、やはり嫌われたり、煙たがられたりして、周りに人が集まってきません。『漢書』という古典にも、「水至って清ければ則ち魚なし。人至って察さつなれば則ち徒となし」とあります。
「察」とは、細かいことまでよく見えるという意味です。見えるのはいいのですが、見えすぎますと、つい、ああでもない、こうでもないと口を挟みたくなります。こういうことは、いくらこちらが好意で言ったとしても、嫌われることは請け合いです。ましてこちらが高みに立ってお説教でもしようものなら、相手は逃げ出していくかもしれません。そうならないためには、目くじらを立てて人をとがめないことです。
ときには、見えていても見えないふりをする必要もあるでしょう。『菜根譚』も、それを言っているのです。これは、とくに部下を使う人には不可欠の条件と言ってよいでしょう。
単独でする仕事は、まだいいのです。独りよがりであろうと潔癖すぎようと、仕事に差し支えることはまずないでしょう。多少は偏屈扱いされるかもしれませんが、逆にその人の魅力になっている場合も少なくありません。
問題は、大勢の人間が集まって、組織でする仕事です。そんなとき、上に立つ者が些細なことにまで目くじらを立てていたのでは、部下にそっぽを向かれてしまいます。
やはり、清も濁も大きく包み込んでいく包容力があってこそ、組織をまとめていくことができるのです。上に立つ者は、部下の能力をうまく引き出して、組織力として結集していく必要があります。そうでないと、大きな仕事はできません。
ところが、どのような組織にも、いろいろなタイプの人間がいます。あいつは嫌いだ、こいつは気に食わないとやっていたのでは、リーダーとしての責任を果たせないばかりか、無用な対立さえ招きかねないでしょう。
どんな嫌いな相手にも、それなりにいい点があるのです。嫌いな部分にはしばらく目をつぶり、いい点を見つけて引き出してやる。これもまたリーダーの大事な仕事であって、そうあってこそ組織をまとめていくことができるのではないでしょうか。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら