やはりただの民間機ではない、とイスラエル空軍基地の司令官たちは疑念を強めた。きっと敵国エジプトと共謀し、軍事目的で航行しているに違いない。基地内の緊張感は一気に高まった。
イスラエル空軍基地はファントム戦闘機のパイロットに指令を出した。「114便がイスラエルの中心部に到達する前に、シナイ半島のレフィディム(現ビルギフガファ)空軍基地に強制着陸させよ」
ファントム戦闘機のパイロットは、すぐに翼を振って114便に警告の合図を送り、無線で着陸の指示をした。通常なら、114便も翼を振って無線に応えるのが国際的な慣習だ。しかし114便はどちらも行わず、そのままイスラエル上空へと飛行を続けた。
しかしファントム戦闘機のパイロットには、着陸の指示は間違いなく伝わったという確信があった。戦闘機と114便はほんの数メートルの間隔で並飛行し、戦闘機のパイロットからは、114便のコックピットが見えていた。そこで手振りで「着陸」の合図をすると、旅客機の操縦士が「了解」の合図を送ってきたからだ。それにもかかわらず、旅客機はまだイスラエル上空に向かっている。
14時01分、ファントム戦闘機のパイロットは基地からの指示を受け、114便の機首前方に曳光弾による警告射撃を行った。そこでやっと114便は強制着陸の指示に従い、レフィディム基地に向かって方向転換した。そして5000フィート降下したところでランディング・ギアを降ろした。
ところがそのあと突然、逃げるように西(エジプトの方向)へ急旋回した。そしてエンジンを加速すると、再び上昇し始めたのである。
イスラエル空軍には、意図がまったく理解できなかった。旅客機の操縦士は、乗客の安全を一番に考えるのが義務だ。その義務を果たすには、ここで着陸する以外にないはずなのに。
ファントム戦闘機のパイロットは、旅客機の窓から客室を覗こうと試みたが、どの窓にも日よけが下りていた。これも妙だ、「敵機」に違いない。イスラエル空軍はほぼ確信した。乗客も十中八九乗っていないだろう。今後の領空侵犯に示しをつけるためにも、強制着陸の指示に従わせなければならない。
14時08分、ファントム戦闘機は114便の翼の先端を銃撃。しかしそれでもなお114便は従おうとしない。
14時10分、今度は翼の根元部分を銃撃。機体に損傷を負った旅客機は緊急着陸態勢に入り、そのまま下の砂漠に胴体着陸するものと思われた。しかし旅客機の機体はそう簡単に止まらない。結局機体は砂漠を600メートル滑ったのち、砂丘に突っ込み爆発、炎上したのだった。
脊髄反射的な犯人探し
のちに判明した事実によれば114便は一般の旅客機で、リビア北東部のベンガジからエジプトのカイロへ向かう途中、誤って航路を外れ、イスラエル領空に迷い込んでいただけだった。乗客は113人。そのうち108名が機体の炎上に巻き込まれて亡くなった。
この事件の翌日、世界中で激しい抗議が湧き起こった。「非武装の民間機を撃ち落とすなんて、イスラエルはどういうつもりだ!」「あんなにたくさんの罪のない人を殺すなんて、いったい何を考えている!」
非難は、失敗や好ましくない出来事に対する人間のごく一般的な反応と言える。何か間違いが起こると、人はその経緯よりも、「誰の責任か」を追及することに気をとられる傾向がある。我々は、たとえどれだけ複雑な出来事でも、新聞や雑誌の見出しのように単純化してしまうのだ。
「イスラエル軍が何の罪もない旅行者108人を殺害!」「無責任な旅客機の操縦士が着陸の指示を無視!」
非難は、人間の脳に潜む先入観によって物事を過度に単純化してしまう行為だ。ある意味、講釈の誤りをさらに悪化させたものと言えるかもしれない。非難は我々の学習能力を妨げるばかりでなく、ときには深刻な結果をもたらす。
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