39歳でがんに「76歳芸人・おばあちゃん」の人生観 大学もお笑いも「やりたいことリスト」にあった

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

――かなり壮絶な闘病体験ですね。その出来事を経て、ご自身の人生をどう考えるようになりましたか?

「今日を楽しく生きよう」と考えるようになりましたね。特にがんが再発したときには「もう明日はないかもしれない」という不安が強くなって。主人も腹をくくって、私に「好きなことをやりなさい」と言って、私のやることは何でも受け入れてくれました。

ただ、一時期は「やりたいこと」の方向性を間違えちゃって。当時は給料が現金で支給されていましたから、給料日には横浜に出かけて靴やバッグ、コートなどにバーンと使っていました。「明日、この服を着られるかしら」と思いながら……あのときは自分でもどうかしていましたね。

そしたらある日、主人が「どんなに借金してもいいから、俺がぜんぶ責任を持つ。気の済むようにしなさい」と言ってくれた。それで「これではまずい」と目が覚めたんです。

それ以来、やりたいことをやるにしても、「人のために何かできないか」ということを、今後の人生のテーマとして意識するようになりました。それで、お金をコツコツ貯めて、47歳で放送大学に入学したんです。

おばあちゃん
楽屋で若手芸人と交流するおばあちゃん(写真:吉本興業提供)

47歳で大学生に、学会で論文を発表

――47歳で大学生に! それもまた思いきった決断ですね。

私は戦後のベビーブーム世代で、当時の女子の高校進学率は半々くらい。中学校の先生からは「奨学金もあるから」と進学を進められたのですが、親には「いや、受かったら困るから受けさせません」と言われて、高校に行かせてもらえませんでした。その悔しい思いがあったので、社会人になってから働きながら通信制の高校を出て、短大にも行きました。

――短大まで出て、そこから、さらに大学に行こうと?

「チャンスがあれば大学に行こう」という思いはつねに持っていたんです。でも、せっかく大学に入るのなら、単位を取るだけでは面白くない。世の中のためになるものを残したいと思って。私は乳がんの手術で胸を全摘出して、人工胸との摩擦に悩んでいたので、そのことを研究テーマにしようと思って放送大学に入学しました。

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事