貧困に子どもの不登校。ギリギリな日々を抜けて お金が不安で休めない養育費0のシングルマザー

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私には頼れる親も親戚もいないし、元夫は養育費をいっさい払ってくれません。生活保護の申請をする余裕すらなくて、どんなにギャラが安くても仕事があれば、昼夜問わずどこへでも行きました。食事は支援団体を頼ったり、撮影現場で子どもの分のお弁当も分けてもらったり。情けないけれど、必死でしたね。取材から帰ってきたら締切に向けて夜通し仕事をしないといけないし、週末は週末で撮影が入る。休みたいと思っても、休んでしまうと、生活費の不安で押しつぶされそうになるんですよ。

極限状態の日々

そうこうしているうちに、家に帰るとアルコールを飲まないと家事ができないようになって、自分でも「依存症の一歩手前」だと認識するようになりました。さらには、人と話したことを覚えていなかったり、仕事の日程を忘れたりすることが続いて、これはおかしいな、と。思いきって受診したら、「適応障害」であり、「ワーカホリック」でもあると言われました。とはいえ、目の前にお腹をすかせた小学校低学年の2人がいる以上、休みたくても休めませんよね。精神科の薬を頼りに、走り続けるしかありませんでした。

子どもたちに「あなたたちが自分でここまでやってくれたら、私はこれだけの時間を仕事にあてられる。そうしたら、これだけのごはんを買えるのよ」なんて、言ってもわからないのに言い聞かせたりして、可哀想だったなと思います。でも、当時は彼らの気持ちを想像する余裕なんてありませんでした。

──そんな状況のなかで、長男の拓也さんが小5から不登校になったのですね。何かきっかけがあったのでしょうか。

拓也は「お祭り男」のようなタイプで、はしゃぐと人との距離感がわからなくなってしまいがち。小3のときにADHDだと診断されました。きっとその特性ゆえに、学校生活のなかで居心地悪く感じる場面がたくさんあったのでしょう。大きなきっかけがあったわけではないのですが、小5のときから休みがちになりました。

事態が悪化したのが小6のとき。特定の友だちとのあいだにトラブルが起きたことで荒れて、壁を殴って穴をあけたり、支援級に通っている弟を殴ったりするようになりました。学校の先生が弟のアザに気づいて私の虐待を疑ったり、自治体の子ども家庭支援課から連絡があったのも小6のときです。私にとっても初めてのことだったので余裕がなくて、カッとなって怒鳴り返してバトルになることもありました。もっとちがう言葉をかけてあげられていたら……と今ふり返ると、本当にもうしわけない気持ちですね。小6で完全不登校になったものの長男はなんとか卒業して、中学校では念願の野球部に入りました。

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